神の救いにおけるの二つの面

福音メッセージ

放蕩息子が家に帰り、最上の衣を着て、肥えた子牛を食べました。最上の衣は、悔い改めた罪人を覆う、神を満足させる義としての御子キリストを表徴します(エレミヤ書第23章6節、コリント人への第一の手紙第1章30節)。第一の衣でもあるこの最上の衣は、戻って来た放蕩息子のぼろ切れ(イザヤ書第64章6節)に代わって、彼に着せられました。肥えた子牛は、信者の享受のために十字架の上で殺された、豊かなキリスト(エペソ人への手紙第3章8節)を表徴しています。神の救いには二つの面、最上の衣で表徴される外側の客観的な面と、肥えた子牛で表徴される内側の主観的な面があります。わたしたちの義としてのキリストは、わたしたちの外側の救いです。わたしたちの享受のためのわたしたちの命としてのキリストは、わたしたちの内側の救いです。最上の衣によって、放蕩息子は彼の父の要求を満たし、彼の父を満足させることができました。そして肥えた子牛は、息子の飢えを満たしました。ですから、父も息子も一緒に楽しむことができました。(参照、回復訳聖書、ルカによる福音書第15章22-23節とフットノート)

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第1期第3巻より引用