どのようにしたら信じられるか?

福音メッセージ

主イエスを信じることは自分の努力によるのではなく、自分の行ないによるのでもありません。主イエスを信じる信仰は、主イエスご自身が人の中に置かれたものです。エペソ人への手紙第2章8節から9節は言います、「なぜなら、あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰を通してであって、これは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物であるからです.それは行ないによるのではありません.だれも誇ることがないためです」。人々が主イエスの御名を聞き、主イエスの言葉、すなわち神の真理の言葉を聞くとき、この真理の言葉、すなわち人を救いへと至らせる福音は、人の内側で主イエスに対する評価と味わいを生み出し、人々は、主イエスはすばらしいと感じます。そして人々は、主イエスを信じることはすばらしいという内側にある慕い求めと渇望が起こされます。これが信仰の開始です。あなたが主を信じようとする感覚を持つとき、それはあなたがすでに主を信じ始めたことを意味します。

今、あなたは努力して彼を信じる必要はなく、ただ単純に彼に祈り、単純に心を彼に開き、心の深いところから彼の御名をこのように呼ぶことができます、「おお、主イエスよ、あなたを信じたいです。あなたを受け入れたいです。あなたの中へと信じたいです。主よ、わたしの霊の中に入ってきてください。主イエスよ、あなたを信じることを願います。あなたをさらに信じることができるようにしてください」。あなたはこのように簡単に祈るだけで、主イエスはあなたの中に入ってこられます。あなたが祈れば祈るほど、主はますますご自身をあなたの中に分与されます。彼があなたの中に分与されるとき、あなたの信仰は増し加わり、あなたは信じることができるようになります。

ヨハネによる福音書第1章12節から13節は言います、「すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた.これらの人は血からではなく、肉の意志からでもなく、……神から生まれたのである」。信じることは外側の同意ではなく、客観的な事実を信じることでもありません。信じるとは受け入れることです。主イエスを信じることは、主イエスを内側に受け入れることです。あなたが彼を内側に受け入れれば受け入れるほど、ますますあなたの信仰は増し加わります。信仰はからし種のように、わたしたちの中にまかれて生長します。わたしたちが時に応じて水を注ぎ、養うなら、信仰は増し加わります。彼の信仰がわたしたちの中で増し加わるなら、わたしたちはますます彼を信じ、ますます彼と一に結合されます。友人のみなさん、信じることはとても簡単なことです。それは心を開き、霊を開いて彼に祈り、彼をわたしたちの中に受け入れることです。これが信じることです。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第5期第6巻より引用