捜せ、そうすれば、見いだす

証し

拍手の中でのやるせなさ

高雄は、賑やかな大都市であり、わたしの出身地です。わたしは普通の家庭に生まれ、両親とも教師であり、わたしより四歳年下の弟がいました。他の人の目に、この家庭はみながうらやましがる経済的に余裕のある家庭でした。父は社交的であり、よく友達とお酒を飲みに行きました。幼いときの印象として、わたしは父がよく夜中にお酒のにおいと共に家に帰って来たことを覚えています。こういうわけで、小さい頃、わたしと父の関係は良くなく、わたしは、父が自分の責任を果たしていないと常に思っていました。

父は家庭を顧みなかったので、母が教養に関するすべてのことを担いました。すべての負担が母にのしかかったので、彼女はわたしたちに対してとても厳格でした。また、父が遅く帰宅することに関して特に立腹して、理解を示すことができませんでした。彼女は、わたしたちが父のように彼女を悲しませることをしないようにと再三わたしたちに注意しました。こういうわけで、幼い頃からわたしは家で常に従順でした。またこのことを誇りに思い、自分は必ず親と先生の期待に応えるようにしてきました。彼らが要求したものに対して、わたしは拒んだことがありませんでした。小学校から、わたしは彼らの期待の下で、力の限り、あらゆる活動とコンクールに参加しました。合唱、演説、ピアノなどすべてにすばらしい成績を残しました。しかしながら、外側では賞賛され、多くの拍手を得ましたが、わたしの内側深くでは、別のものを欲していました。わたしは、クラスメートが自由に行き来していることがうらやましく思っていました。あるとき、クラスメートに焼き肉用品の買い物に誘われました。わたしは、単なる買い物であるので、家の人は反対しないだろうと思って行くことを返事してしまいましたが、母に尋ねた結果、だめだと言われました。わたしは、わざわざ家の前まで来てくれたクラスメートが母に帰されるのを見ていることしかできませんでした。そのとき、わたしはとても傷つき、今でもその痛みが心に残っています。

高校で、わたしは有名な私立の学校に入りました。表面では、母の期待に応えたようですが、それがわたしの悪夢の開始であったとは思いもよりませんでした。高校の課程は中学よりはるかに難しく、わたしの成績も伸びませんでした。進学に対するプレッシャーと自分に対する要求により、わたしは徐々に自分を閉ざし、口数も少なくなり、友達もだんだん少なくなっていきました。当時、わたしを支えた唯一の力は、大学に入った後、家から離れて自分の夢である大学生活をするという渇望でした。

「自由」へと飛ぶ過程

そして、大学受験が終わったとき、わたしは北部の学校を選ばせてくれるように力を尽くして母を説得しました。願いが通り、わたしは多くの人が憧れる台北医学大学の薬学部に入りました。一日目に学生寮に入ったとき、慣れない環境のゆえに少し戸惑いましたが、窓の外の風景を眺めているうちに、内側の心が躍り始めました。なぜなら、やっとわたしは自由になったからです。

当時のわたしは挑戦することが好きで、自分の偉大な目標に向かって進んでいました。それは、田舎へ行って奉仕するサークル活動でした。田舎での生活は単純で、物資も豊かではありませんでしたが、わたしは喜びに満たされ、自分は人生の方向性を見つけたと思いました。大学二年生で幹部になり、わたしはさらに努力して学び、熱心に教え続けました。そして大学三年生のとき、慣例によればサークルを引退しなければなりませんでしたが、わたしはなお留まりたいと思いました。その年、サークルがわたしを青年救国団のグループにしてくださったことにわたしは、とても驚きました。なぜなら、これに参加する資格がある者はごく少数であるからです。また、わたしは学部会の仕事を受け、それより前の二年間より忙しい生活を送りました。けれども、わたしの心は満たされませんでした。このような満たされない中で、わたしはもう一つの穴に陥っていきました。

よくわからない落とし穴

この新しい落とし穴というのはパソコンゲームでした。小さい頃からわたしはいとこのお兄さんがうらやましいと思っていました。彼は自分のゲーム機と多くのソフトを持っていましたが、わたしは母と学業によるプレッシャーで存分に遊ぶことができませんでした。大学三年生のとき、わたしは学生寮から出て、学校の近くに部屋を借りました。そして、偶然にも、下の階には電子器具販売店がありました。学校から帰ってくる度に、わたしはそこに入って行き、見て回りました。パソコンモニターにあるゲームの幻想的な画面が魅力的であり、わたしを深くその中へと引き寄せました。あるとき、ただゲームのエンディングを見るためにわたしは徹夜しました。しかしながら、ほとんどはわたしの期待に沿ったものではありませんでした。このようにして、わたしはまた別の新しいゲームを探しました。あるときには、一週間ほとんど毎日新しいゲームで遊んでいました。金銭的に制限されていなければ、わたしは店にあるすべてのゲームを買ってしまったことでしょう。

わたしの成績はあるべき水準にあったので、わたしがこの不思議な落とし穴にはまって抜け出せないことをだれも知りませんでした。ただわたしの目の下のくまは絶えず濃くなりひどくなっていきました。大学三年生のある晩、特にサークル活動もなく、クラスの復習も終わりましたが、不思議なことにわたしはゲームをする気分ではありませんでした。わたしは気ままに住んでいるビルの屋上まで行き、遠い山にある電灯の光と路上で行き来する車を眺めているうちに、大学生活のサークル、ゲーム、勉強などのあらゆることを思い起こし、これらのことをすべて試したのに、これからの人生の道はどうあるべきなのかということを考えました。自由な生活はわたしに真の満足を与えませんでした。思えば思うほど、ますます自分の人生には希望がなく、できることはその程度のことであって、わたしが行なうことができることは他の人よりも優れているとは限らないと感じました。考えれば考えるほど、人生は何とむなしく、退屈であるのだろうと思いました。なぜわたしは平凡な人のままで、自分の道を変えることができないのか? 静まった夜空を仰ぎながら、いかに自分が無力であり、小さいことを思い知らされ、天に救いを求めざるを得ませんでした。そして、突然衝動的に内側から、「屋上から飛び降りればすべてが終わる」という声が心に響き渡りました。

「飛び降りるのか、飛び降りないのか」という葛藤がわたしの中にありました。絶えず動いている人の群れと車が行き交う道を見ていて、よくわからないままわたしは自分を抑え込んで部屋へと戻りました。なぜこのような考えがあるのか一面で自問し、もう一面でこのような感覚から逃れるように助けてくれる人を探しました。わたしは友達に相談しようとしましたが、彼らは寝ているか、もしくは外出していました。このようなむなしくて苦しい感覚は、絶えずわたしを圧迫してわたしはどうすればよいのかわかりませんでした。そのとき、偶然に本棚にある一冊の本がわたしの目にとまりました。それは以前にある展示場で、友達を応援するために買った「神はおられるのか」という本でした。わたしは適当にその本を開きましたが、なぜか一ページ、一ページと読み進めていきました。読み終わらないうちに、わたしは泣き始めました。そして、わたしは激しく泣いて叫びました、「この世に神がいるなら、わたしを救ってください! わたしはむなしくて、苦しいです。このままでいたくありません。この世に神がいるなら、わたしを救ってください!」わたしは泣きながら、叫び続けました。その晩はこうして眠ってしまいました。

神はわたしの声を聞かれた

数日後、わたしと年が近いクリスチャンがキャンパスの中でわたしを訪ねてきました。以前、クリスチャンがわたしを教会に誘おうとしても、わたしは決して応じませんでした。しかし、そのとき、彼らは特別で不思議な吸引力を持っており、わたしを引き寄せました。その後、彼らがキャンパスでわたしを誘っても、他のクリスチャンの家庭にわたしを招いてもわたしは彼らについて行きました。彼らは熱心であり、わたしと共に「彼に告げる」という本を読みました。わたしは徐々に主を知り、また彼らの生活を知るようになりました。彼らの生活は喜びと満足の生活であり、それはわたしが慕い求めていたものでした。こういうわけで、大学三年の後期になったとき、わたしは主の中へとバプテスマされ、異なる人生を始めました。

主を信じて数年が過ぎ、わたしの人生におけるすべての歩みに神の導きがありました。わたしは大学を無事に卒業しただけでなく、召会の中で一群れの兄弟姉妹と知り合いました。彼らは以前からの友達よりさらに親しく、近い存在でした。このことによって、わたしの人生に再び燃える火が灯されました。今やわたしはキリストを愛し、また召会を愛しており、人生に対して満ち満ちた希望を持っています。なぜなら、主イエスがわたしの中で命と命の供給となり、わたしのあらゆる必要を満たしてくださっているからです。

マタイによる福音書第七章七節は言います、「求めよ、そうすれば、あなたがたに与えられる.捜せ、そうすれば、見いだす.門をたたけ、そうすれば、あなたがたに開かれる」。あの日に絶望して叫び求めたことによって、わたしは真の神を見いだしました。わたしはさらに多く彼を知りたいので、兵役が終わった後、薬剤師の仕事をやめて召会が行なっている全時間訓練に参加しました。訓練の中でわたしは神のエコノミーを見ました。それは、神の人に対する全体的なご計画であり、彼ご自身をもってわたしを満たして彼の表現とならせることです。このような小さいわたしが神の表現となることできます。これは、わたしの人生における比類のない栄光と意義です。彼はわたしを暗やみから光へもたらし、真の自由を得させてくださいました。

詩歌(イエスはわが命) 習志野に在る教会作成

169イエスはわが命

記事はJGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第3期第6巻より引用

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