心のかせ

証し

楽しい幼少期が煙にように消えていった

わたしは伝統的な大きな家庭の中で成長しました。祖父と祖母にはわたしの父一人しか子供がいなかったので、第一の孫であるわたしが生まれたとき、わたしはすぐにみなに寵愛され、すべての人の関心はわたしを中心としました。六人の叔母は、夜中に起きてわたしにミルクを飲ませるために当番を組んでいました。特に祖父はわたしに対して、常に抱いて放さず、わたしが欲しいものは何でも与えてくれ、行きたい所はどこへでも連れて行ってくれました。バイクに乗せてもらってお菓子を買いに行ったり、池のボートに乗せてもらったり、犬を引き連れて豚の群れを導いたりしました。わたしはまるで人々の手の上に乗せられている、輝く宝石のようでした。わたしの喜びが彼らの喜びでした。

楽しさの背後には常に危機が隠れており、楽しい時はやがて過ぎ去ります。祖父が賭博好きのゆえに、家計が徐々に落ちていき、祖父はやがて肝臓の病で亡くなりました。それによってわたしはよりどころを失い、憂い悩みのなかった頃の生活も徐々に失われていきました。そして、わたしは両親と共に都市へ行き、幼稚園に入り、その後小学校に入りました。しばらくして祖母は中風を患って全家族が暗い状況に陥りました。それから災いが続いてどうしたらよいのかがわからなくなっていたとき、ちょうど叔母が仏教に熱心であったので、全家族が彼女にしたがって仏門に依り頼みました。

恐ろしいれんごくの深淵

無意識に仏教の本を開いて見たとき、嘘をついた人は死後舌を切り取られると書いてありました。また、盗んだ人は死後両手を切られ、好色な人は死後両目をくり抜かれると書いてありました。突然わたしの心は悪寒を感じました。まるで自分は底のない深淵に陥った感じがしました。それからわたしは常に恐怖の中で生きていました。なぜなら、わたしは刑罰を受けたくないのに、罪を犯し続けていたからです!

強者の中には強者がいる

それからわたしは学業での成績を必死に追い求め始め、常に勉強することを考え、先生方の尊重と友人からの誉れを受けることができました。学業の成績がわたしのすべてとなり、成績が良ければ、すべてが良くなって、すべてが得られると思い始めました! こういうわけで、わたしは成績に固執して、終日他の人を倒すことを目標にし、他の人の失敗を自分の最大の喜びとしました。わたしの病的な考えは他の人の良さを受け入れることができず、ある人がわたしより少しでも良い結果を出すなら、わたしは目を真っ赤にして嫉妬しました!

願い通りにわたしは一流の高校に入り、人々のうらやむ眼差しと賞賛の中で酔いしれました。しかし、このような日々は長く続かず消えていきました。自分は千名ほどの良い学生の一人であって、偉いことではないとわかりました。また、高校受験だけでなく、大学受験もあり、その後の大学院の試験もわたしを待っています! わたしは突然、疲れた感覚を覚え、周りには自分の心の声を聞いてくれる友達もなく、果てしなく孤独であると感じました。

バプテスマして罪と不義から離れる

ある土曜日の午後、図書館への途上で、一人のクリスチャンがわたしに福音を伝えました。彼の親切で喜んでいる様子がわたしを引き付けました。彼は、人の上には罪の勢力があるので、多くのとき、明らかに間違っていて、罪深いものであるのに人はなお行なってしまうとわたしに告げました。聖書のローマ人への手紙第七章十八節で告げているように、「わたしは善をしようと欲するのですが、善を行ない出すことはないからです」。彼はまたこのように言いました。主イエスは人として十字架につけられ、彼の尊い血を流し、人の罪を洗い去ってくださいました。人は単純に彼を信じ、彼を救い主として受け入れるなら、救われます。わたしは以前自分のあらゆることを思い返して、実に彼の言葉に征服されました。そして、真剣に彼と共に罪を告白して祈り、自分は罪人であること、主の尊い血の洗いと赦しが必要であることを認めました。不思議なことに、わたしが祈り終えて目を開いたとき、目の前の景色が変わりました! まるで水に洗われたように、すべて一新されました! 彼はバプテスマされてクリスチャンになりたいかと聞いてきました。わたしは真に罪と不義の生活から離れたいと思い、さら高い生活を送りたいと願ったので応じました。その日に、わたしは正式に主イエスの王国へと移されました。

揺らいでいる心によってさまよう

救われたばかりのときは、主イエスがとても近かったことを覚えています! 毎朝ある兄弟がわたしと共に祈り、主の御名を呼び、放課後もよく兄弟たちと共に集まりました。しかし、しばらくして、揺らいでいる心が起伏して、多くの新しいことを求めたくなって、主を愛する心が徐々に冷たくなっていき、さらには兄弟姉妹を避けるようになりました。主から逃げ回る日々において、わたしは自分に属し、自分もそこに属するもう一つの場所を探そうとしました。多くの場所を見つけても、結局、結果はありませんでした。自分のクラス、サークル、最も恋しい中学同級生の集まりでさえわたしを満たすことができませんでした! そしてわたしはまた嫉妬と競争を始めました。クラスで最も成績が良いクラスメートに対して、毎回彼が机に向かって勉強しているのを見ると、彼がわたしより勝ることを恐れて、気分が悪くなります。自分はとても邪悪であると感じました。彼が勉強していると、わたしは寝たり、出て行って勉強したりします。彼が寝るときにわたしは猛勉強します。心の中で隠れて企みに満たされていました。自分の弟でさえ、彼はバスケットボールが上手であることを思うと、わたしはよく寝ることができなくなって、気分が害されます。わたしは自分を見つめることができなくなって、自分を麻痺させるものを見つけ、青春をゲームに浪費し、仮想的な世界に夢中にふけって、現実のもがきから逃れようとしました。

兄弟たちが和合して住むことは何とすばらしい

わたしはこんなにも腐敗し、堕落していましたが、主イエスはわたしを見捨てず、聖徒たちも失望していませんでした。なお多くの兄弟たちが辛抱強くわたしを訪問し、わたしの心が徐々に向きを変え、この愛の神に向くようになるまで待ってくださいました。そしてやっとその機会がやってきました! わたしが大学の推薦入試に受かったとき、約半年間の休みがありましたが、わたしはゲームに全部浪費してしまいました。そのとき、わたしは自分に対して完全に失望しました! わたしは抜け出すことも自分を救うこともできず、ただ救いを求めるしかありませんでした。わたしは兄弟たちの提案を聞き、台湾大学のブラザーズハウスに入り、兄弟たちと共に住んで単純な、正常な、健康的なクリスチャン学生生活をしました。これはわたしの生涯に影響を与えました。

兄弟たちと和合して住むことは何とすばらしいことでしょう! わたしが引っ越したばかりのとき、右も左もわからなくて、すべてが手探りで順応していく中で、幸いなことに兄弟たちがわたしを愛し、顧みてくださり、わたしに欠け目、問題があるときに、彼らは常に積極的にわたしを助けてくださいました。問題が解けないときに、ある兄弟はわたしに教えてくださいました。電卓を持っていないとき、ある兄弟は安い価格でわたしに譲ってくださいました。革靴がないとき、ある兄弟がわたしにプレゼントしてくださいました。中間テストが悪く、悲しくて涙していたとき、ある兄弟は手元にある仕事をすぐ置いてわたしの心が落ち着くまで、共に祈ってくださいました。

兄弟がいるならすべてが良くなりました。毎晩十時頃に、みなが勉強で疲れているときに、ある兄弟は厨房に入って、麺、餃子をゆでて、熱い緑豆スープやタピオカを作ってくださいました。簡単なものでしたがとても暖められました。またある人は夜食のおでん、揚げ物、小豆の饅頭などを持ってきてくださり、みなで共に楽しみました。週末は共に球技をして、笑い声が絶えず、喜びに満ち、地上でこれより喜ばしいものはないと思うほどでした。

召会生活をしてすべての束縛と制限から逃れた

わたしは徐々に召会というこの大家族の生活に溶け込み、他の人の顧みを享受し、また他の人を顧みることを学びました。わたしは毎日聖書を読み、祈り、また詩歌を歌い、福音を伝えることも楽しみました。わたしはもはや自己憐憫せず、名声や利益のために争おうとしませんでした。わたしは自分が好きになり、他の人も評価し、またどのようにして人と接触するかを学びました。以前のあの偏屈な、話すことを好まないわたしが今や、わたしより年長の方と心を開いて談笑し、またわたしより幼い者に助言することもできました。ゲームはわたしにとってもはや吸引力がなくなりました。なぜなら、わたしはイエスによって深く引き寄せられたからです。この世の名誉、成就はわたしを煩わすことができません。なぜなら、わたしはすでに宇宙の宝を得たからです。わたしの世界はもはや仮想の狭く暗い空間ではなく、キリストの中であって、そこで無限の豊富と自由を享受することができるようになりました。

詩歌(悲しみの闇から)   習志野に在る教会作成

悲しみと闇から わたしは来ました!

記事はJGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第4期第4巻より引用

タイトルとURLをコピーしました