「素晴らしい、主の救い」

素晴らしい、主の救い 証し

わたしは、美容師の仕事をしています。ある日、美容院の仕事をしているとき、お客様でクリスチャンの方がいらっしゃいました。来院されるたびに、「今日は教会へ行かれたのですか?」とお客様に何気ない会話をしていました。ある日お客様の方から「家庭でクリスチャンの集まりがあるので来ませんか?」と誘われました。時間もちょうど営業が終わる時間であり、場所も職場からも近いこともあり、お客様から誘われたのもあり、何も考えずに、「いいですよ」と軽い気持ちで承諾しました。わたしは、その頃お酒が好きだったので、「家庭の集まりでは、ビールが飲めるのですか?」と質問したのを覚えています。後日、早速待ち合わせをして、ある家庭のマンションの一室へと招かれました。家庭集会がどのようなものか、よく分からないまま食事をすませました。するとあるクリスチャンの方から「ここは教会です。あなたは今日、どのような事情で来られたのですか?」と言われ 「ここはマンションではないのか?」と疑問に思いました。それから少し交わっていましたら、ある方からバプテスマするように勧められました。わたしには、特に断る理由がなかったので、軽い気持ちでバプテスマを受けることを承諾しました。その当時は、歴史上の人物としてイエス・キリストがおり、実際は何をしたのかよく知りませんでした。そんななかでのバプテスマでしたが、バプテスマをした後、クリスチャンの方たちがとても喜んでくださっていたのをとてもよく覚えています。当時はバプテスマというものを理解できていませんでしたし、行なったことは、ただお風呂に入っただけぐらいにしか認識していませんでした。何日かして、ふたたび家庭集会への誘いのメールを頂きました。家庭集会の時間は、仕事が終わってちょうど空腹になる時間ですし、帰り道の途中でしたので、わたしにとっては、生活のサイクルの中に新しい趣味の時間ができたというぐらいにしか思っていませんでした。家庭集会のたびに、夕食を頂いていたので、「これは、いつかは請求書が来るのではないか?」と内心不安もありましたが、クリスチャンの方たちがとても温かく迎えてくれていたので、その様な心配は徐々になくなっていきました。そして出席する度ごとに、ますますクリスチャンの方たちとの交わりに自然と心を開き、より深く、ますます楽しいものになっていきました。最初の頃のわたしは、「神」と言われても自分にはなんの関わりのないものと思っていましたし、とくに興味もありませんでした。しかし、当時は実感が無かったのですが、今思い返してみると毎回の家庭集会でクリスチャンの方たちの愛に触れて、命の供給にあずからせていただいているうちに、神がさらに強い愛でわたしを引き寄せてくださっていたのだと思います。

主の救いに感謝します。わたしのように神に興味のない人でも創世の前から選ばれ、神の救いを得るように選ばれていたことを、主に感謝します。そしてキリストのからだとしての、クリスチャンの方たちの家庭集会で命の供給にあずかれたことは、クリスチャンの方たちの愛の中でのはぐくみ、養いのおかげだったと思います。主に感謝します。それにしても、「神」に全く興味がなかったわたしですが、なぜ主はわたしを選んだのでしょうか? 今でも疑問に思っています。

主は本当に不思議なお方です。アーメン。
おお主イエスよ。あなたの救いを賛美します。

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