ひそかな敵あり(4)

福音メッセージ

ガラテヤ人への手紙 第6章14節でパウロは、「しかし、わたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇るようなことが断じてあってはなりません.その方を通して、この世はわたしに対して十字架につけられ、わたしもこの世に対して十字架につけられてしまったのです」と言っています。この節の中の「わたし」は古い人と呼ばれているものです。わたしたちは自己を対処することで、主を模範とすることが必要です。福音書では、主が地上で生活され、務めを行なっておられる時に、自己に従って何も行なわず(ヨハネによる福音書 第5章19節)、自己の働きをせず(ヨハネによる福音書 第4章34節17章4節)、自己の言葉を語らず、自己の意志にしたがっては何も行なわれず、また自己の栄光を求めませんでした(ヨハネによる福音書 第7章18節)。もしこれらの点をもって、今日のすべてのクリスチャンの働きと照らし合わせれば、だれもこの標準にまで達しません。彼らが主の働きにおいて、自己によって何も行なっていないとだれが言えるでしょうか? 自己の働きを行なっていない、自己の言葉を語っていないとだれが言えるでしょうか? また、自己の意志によって、何も行なわず、何事においても自己の栄光を求めていないとだれが言えるでしょうか? わたしたちが、この五項目に肯定的に答えられないとするなら、神のエコノミーの務めからそれてしまっています。

4 自己ついきゅうより
    すくいたまえ;
  われをさいだんに
    ささげさせよ。
  傲まん、ほこりより、
    主よ、すくいませ、
  主をほこりとして、
    たかく上げる。

[4 自己の追求から離れ、
    もはや自己のためではなくなるように
    救ってください。
  常に祭壇に横たわらせ、
    あなたの生ける供え物として
    ささげさせてください。
  傲慢、誇り、見せびらかしを離れ、
    虚栄、美名を離れ、
  ただキリストを誇りとし、
    ただ彼を高く上げます。 (全訳)]

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第1期第1巻より引用