復活したキリストの増殖は諸召会(神の王国)を生み出す

真理

使徒行伝がわたしたちに見せているのは、ナザレの大工の家で生活したイエスではなく、すでに復活したキリストです。さらに正確に言うなら、使徒行伝はこの復活したキリストの増殖の啓示です。キリストは彼の昇天において、その霊により、弟子たちを通して、このような増殖を完成しておられます。その目的は諸召会(神の王国)を生み出すことです。

 

使徒行伝の中のキリストの啓示
福音書ではすばらしいパースンを明らかにしています。このパースンは永遠の神であり、旧約ではエホバという名で呼ばれた方です。彼は全宇宙の、また人の創造主です。使徒行伝は、四福音書と、啓示録を含む書簡の間にあります。ですから、使徒行伝は境界線です。使徒行伝の前には、旧約聖書の継続としての四福音書があります。使徒行伝の後には、結論としての啓示録を伴う書簡があります。福音書は、全体的な贖い主と彼の完成された贖いを提示しています。使徒行伝には、全体的な贖い主と彼の完成された贖いを増殖して、諸召会を生み出すことがあります。そして書簡には、信者たちを成就することと諸召会を建造することがあります。

復活したキリストの増殖
使徒行伝は、復活したキリストの増殖についてです。キリストは彼の昇天において、その霊により、弟子たちを通して、この種の増殖を完成しておられます。その目的は諸召会――神の王国――を生み出すことです。わたしたちが「復活したキリストの増殖」という句を持つことには、大きな価値があります。使徒行伝には、単にナザレの大工の家で生活した方の増殖があるのではありません。そうではなく、わたしたちは使徒行伝で、復活した方の増殖、復活したキリストの増殖を見ます。

昇天におけるキリストの活動
復活したキリストの増殖は、キリストによって彼の昇天において完成されます。主イエスは地上で三十三年半生活しましたが、今や彼は昇天の中におられます。昇天したキリストは受け身的に御座に座らされ、地上のあわれな状況を観察し、それについて失望しておられるのでしょうか? 違います、昇天においてキリストはとても積極的に活動しておられます。昇天した方として、彼は今や多くの事を行なっておられます。

昇天において
使徒行伝の中の復活したキリストの増殖は、天における御座から遂行されます。これは、彼の増殖の働きが、昇天の中にあることを意味します。昇天は地上での主の働きの性質と範囲です。

ステパノの事例は、昇天におけるキリストの活動の例証です。使徒行伝第七章五五節と五六節は言います、「ステパノは、聖霊に満ちており、天を一心に見つめていると、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た.彼は言った、『見よ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』」。主は昇天において地上の状況を見ていたとき、立ち上がられました。おそらく彼は次のように言っておられたでしょう、「あなたがた迫害者は、ステパノを石打ちにし、彼を死に渡すがよい。しかし、わたしはあなたがたのうちの一人、タルソのサウロを得て、彼をステパノよりもはるかに強力にする。しばらく待ちなさい。あなたがたは打ち破られる」。復活したキリストは昇天においてとても活動的でした。

復活したキリストが彼の増殖を遂行しておられるとき、彼の主要な働きは戦うことではなく、おもに全地にご自身を増殖することです。主の回復にはさまざまな色の人、すなわち黒、白、茶、黄、赤の人々がいます。わたしたちはみなキリストの増殖の一部分です。わたしたちは復活したキリストにより、彼の昇天において生み出されました。この働きは天然のものではありません。それは天然の人の何ものも持ちません。そうではなく、それは完全に復活における神聖な命のものであり、キリストの中で完成されます。

その霊によって
復活したキリストの昇天における増殖は、何かの手段や人の技巧によるものでもなく、その霊によるものです。今日のクリスチャンの間の状況は、どこにその霊による増殖があるでしょうか? 多くの場合、その霊のものはほとんどなく、人の方法や技巧を多く用いています。例えば、ある人たちは、福音の宣べ伝えにロックミュージックさえ使います。わたしたちは、復活したキリストの増殖がその霊、特に、エコノミー上の霊によることを認識する必要があります。

弟子たちを通して
キリストの増殖は、弟子たちを通してです。弟子たちとはだれでしょうか? 使徒行伝で、弟子たちは伝道者と呼ばれていません。そうではなく、弟子たちは証し人です。すなわちその霊である神から胎に入り、人の処女から生まれ、地上で生きて務めをし、死の中へと入って死を征服し、復活の中で墓から出て来て、命を与える霊と成られたすばらしいパースンを証しします。この復活した方は天へと昇り、そこで御座に座しておられ、増殖の働きを行なうことでとても活動的で進取的です。弟子たちはそのような方の証し人です。こういうわけで、主は彼らについて、「あなたがたは……エルサレムにおいても、ユダヤ全土とサマリアにおいても、また地の果てまでも、わたしの証し人となる」(一・八)と言われたのです。

ペテロのキリストに関する語りかけは、
キリストの増殖を生み出す
第二章二二節から三六節でペテロは、働き、死、復活、昇天における人なるイエスについて証しします。ペテロは宣言します、「こういうわけで、イスラエルの全家は、確かに知っておきなさい.あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたのです」(三六節)。イエスは万物を所有する主とされ、神の使命を完成するキリストとされました。神として、主イエスはすでに主でした。また彼の神性において、彼は主とされる必要はありませんでした。それにもかかわらず、彼は人として、昇天において神によって万民の主とされました。神はイエスを万民の主とし、わたしたちを含む万物を所有させられたのです。

主イエスはまたキリストです。また彼は永遠においてさえキリストでした。それだけではなく、さらに彼はキリストとして生まれました(ルカ二・十一)。しかしながら、彼はその昇天において、公に神のキリストとされたのです。これは、神はすでに彼を任命しておられましたが、その昇天において神はその委託を遂行する、あのキリストとして彼の職務に彼を改めて就任させたことを意味します。わたしたちがみな、使徒行伝第二章三六節の「主」は所有を指しており、また「キリスト」は委託を指している事実に印象づけられますように。ペテロはキリストについて語り、キリストを語り出しさえしました。これは信者がキリストについて語った最初の事例です。彼の語りかけにおいて、ペテロは人なるイエスをわたしたちに提示し、彼についてわたしたちに証しします。特にペテロは、働き、死、復活、そして昇天における主イエスについて語りました。

キリストについてのペテロの語りかけはキリストの増殖を生み出しました。ペンテコステの日にこの増殖は救われた三千人を生み出しました。このような増殖はキリストに関するペテロの語りかけの結果でした。このことからわたしたちは、キリストに関する語りかけは確かに彼を信じる者たちの中でキリストの増殖を導くことを見るのです。さらに、キリストの増殖としての信者たちは召会となります。ですから、第二章において、わたしたちはペテロのキリストに関する語りかけが、エルサレムに在る召会を生み出したことを見るのです。ここには、キリストの増殖が生み出した召会生活があります。

パウロのキリストに関する語りかけは、
キリストの増殖を生み出す
第十三章十三節から五二節で、パウロと彼の同伴者たちはピシデヤのアンテオケに来ました。そこで彼らは十字架につけられ復活されたイエス・キリストを救い主として宣べ伝えました(十三―四三節)。彼らはいかなる人の知識や、彼ら自身の何かを宣べ伝えたり教えたりしませんでした。そうではなく、彼らは聖書から御言葉を宣べ伝え、また教えました。

パウロの語りかけはキリストを中心とする
パウロは二二節で、ダビデが神の心にかなう人であることについての旧約聖書の言葉を引用しました。次に二三節で彼は続けて言いました、「この人の子孫から、神は約束にしたがって、イスラエルに救い主、イエスをもたらしました」。ここで短い導入の後、彼が完全にキリストを中心とした重要なメッセージに来たのを見ます。それは、神はダビデの子孫から救い主、イエス・キリストをもたらされたということです。

十字架につけられる
パウロは続いて「この救いの言」(二六節)について語ったとき、キリストの十字架を強調しました。彼はイスラエルの民が彼を死に渡したことを指摘しました。彼らは主イエスを裁いて死刑を宣告し、彼を十字架につけました(ルカ二四・二〇)。そして彼らが彼について書き記されたことをすべて成し遂げたとき、彼らは彼を木から取り下ろして彼を墓に葬りました(使徒十三・二九)。

死人の中から復活させた
使徒行伝第十三章三〇節に始まり、パウロは続けてキリストの復活について語りました。「しかし、神は彼を死人の中から復活させました」。使徒行伝は、神がイエスを復活させた(二・二四、三二)、また彼が死人の中から復活された(十・四〇―四一)という、この両方を言っているのをわたしたちは見てきました。人としての主について、新約聖書は、神が彼を死人の中から復活させたと言います(ローマ八・十一)。しかし神としての主について、彼ご自身が死から復活されたと言っています(ローマ十四・九)。

復活の中での神の長子
復活したキリストが、「ご自身と共にガリラヤからエルサレムに上って来た人たちに、現れました.今その人たちは、民に対する彼の証し人です」(使徒十三・三一)と指摘した後、パウロは続けて言いました、「わたしたちは、父祖に対してなされた約束の福音を、あなたがたに宣べ伝えているのです.すなわち、神は彼を復活させて、子孫であるわたしたちに、この約束を完全に成し遂げられました.それは詩篇第二篇にも、『あなたはわたしの子である.この日わたしはあなたを生んだ』と書き記されているとおりです」(三二―三三節)。復活は、人なるイエスにとって誕生でした。彼は永遠から神のひとり子でした(ヨハネ一・十八三・十六)。肉体と成った後、復活を通して、彼は彼の人性において神によって生まれ、神の長子となりました(ローマ八・二九)。

わたしは、もしパウロがいなければ、詩篇第二篇がキリストの復活のことを語っているのを、わたしたちが見ることができたとは思いません。パウロは「あなたはわたしの子である.この日わたしはあなたを生んだ」という言葉の中に、主の復活を見ることができました。パウロは「この日」という言葉を、主の復活の日に適用しました。これは、キリストの復活が、神の長子としての誕生であったことを意味します。イエス、人の子は、死人の中から復活させられることを通して、生まれて神の御子となりました。ですから、神がイエスを死人の中から復活させたとは、神が彼を神の長子として生んだということです。わたしたちは、主の復活が彼の誕生であったことを認識する必要があります。これは極めて重要な事柄です。

二つの誕生
主イエスには二つの誕生がありました。まず彼はマリアから生まれて人の子となられました。それから三十三年半の後に、彼は十字架につけられ、葬られ、死人の中から復活させられました。復活を通して彼は第二の誕生を持たれました。なぜなら人としての彼は、復活の中で生まれて神の御子となられたからです。ですから、彼は最初の誕生において、マリアから生まれて人の子となられ、第二の誕生において復活の中で生まれて神の御子となられました。

ひとり子と長子
キリストは復活の中で生まれて神の御子となられたと聞くと、ある人は問題を感じて言うかもしれません、「わたしたちの主は永遠から神の御子ではなかったのですか?」。確かに彼は永遠から神の御子でした。最初の誕生の前、すなわちマリアから生まれて人の子となる前に、彼はすでに神の御子でした。ヨハネによる福音書は、イエス・キリストが神の御子であり、そして彼は永遠に神の御子であると強調しています。彼は肉体と成る前、すでに神の御子であったのに、なぜ復活の中で神の御子として生まれる必要があったのでしょうか? もしこの質問に答えようとするなら、わたしたちは聖書を注意深く学ぶ必要があります。

ローマ人への手紙第八章二九節ヘブル人への手紙第一章六節は両方とも、長子としてのキリストについて語っています。主イエスはその第二の誕生において神の長子として生まれました。新約によれば、彼は二つの面で神の御子です。第一に、彼は神のひとり子でした。第二に、彼は今や神の長子です。「ひとり」という語は神が一人の子しか持っておられないことを示します。ヨハネによる福音書第一章十八節第三章十六節は神のひとり子について語ります。永遠から言えば、キリストは神のひとり子でした。これは彼の永遠の身分でした。しかし復活を通して、人としての彼は神の長子に生まれました。「長子」という語は、神が今や多くの子たちを持っておられることを示します(ヘブル二・十)。キリストを信じるわたしたちは神の多くの子たちであり、主の多くの兄弟たち、すなわち神の長子の多くの兄弟たちです(ローマ八・二九)。

命の具体化と命の増殖
神のひとり子としての主は、神聖な命の具体化です。ヨハネによる福音書は、イエス・キリストが神の御子であること、そして神の御子として、彼は神聖な命の具体化であることを強調します(ヨハネ一・四)。キリストは復活を通して、命の増殖のために命を分与する者として、神の長子となられました。最初、彼は命の具体化としてのひとり子でした。今や彼は命の増殖のための長子です。彼が復活の中で神の長子となられることを通して、神聖な命は彼の信者たちすべてに分与され、彼において具体化されている命の増殖をもたらしました。

ここの使徒行伝第十三章でパウロは、ヨハネによる福音書で行なわれたように、神のひとり子としてのキリストを宣べ伝えることはしませんでした。むしろ、パウロはここで、増殖のための神の長子としてのキリストを宣べ伝えました。ですから、彼は主イエスの復活を、彼の第二の誕生として宣べ伝えました。キリストは復活の中の誕生を通して、神聖な命の増殖のために神の長子となられたのです。

諸召会を生み出すための復活したキリストの増殖
復活したキリストは昇天において、彼の証し人を通してご自身を増殖し、諸召会を生み出されます。これは、諸召会が単に人の手によって起こされ、打ち立てられるべきではないことを示します。あらゆる地方召会は、キリストから生まれ、神聖な、復活した命におけるキリストの増殖によって、生み出されなければなりません。

増殖は生み出す事柄です。ですから、増殖することは生み出すことです。復活したキリストが彼の昇天において増殖することは、諸召会を生み出します。諸召会は、復活したキリストの昇天における産物です。ですから、諸召会はキリストの増殖の産物です。使徒行伝での「召会」という言葉の最初の記述は第五章十一節にあります。それ以後、この書は召会について何度も語っています(八・一、三九・三一十一・二二、二六十二・一、五十三・一十四・二三、二七十五・三、四、二二、四一十六・五、十八・二二二〇・十七、二八)。召会の一地方ごとの現れは、人の運動ではなく、復活したキリストの昇天における増殖です。

諸召会は神の王国である
キリストの増殖によって生み出された諸召会は、神の王国です。神の王国は、キリストの増殖によって生み出された命の領域です。実は、王国はこの復活した、増殖する方の拡大です。復活したキリストは、昇天において、その霊により、弟子たちを通してご自身を増殖しておられ、神の王国の実際です。神の王国は彼の拡大です。

わたしたちは、キリストの拡大としての神の王国の例証として、人の王国、人類の王国を用いてもよいでしょう。初めに、ただ一人、アダムがいただけです。そしてアダムは拡大し、増殖し始めました。人の王国は一組の夫婦であり、次にこの夫婦は子供を生みました。このようにして、人の王国は一人の人から家族に拡大しました。今や全人類は人の王国の一部分です。人の王国はあの人、アダムの拡大としての人類です。このことからわたしたちは、人の王国が人の拡大であることを見ます。

神の王国とは何でしょうか? 神の王国とは神の拡大であり、神の具体化はキリストです。キリストのこの拡大は諸召会です。諸召会は、ご自身を神の王国の種としてまかれた方としてのキリストの拡大です。これは四福音書に啓示されています。福音書でキリストは王国の種でした。使徒行伝にはこの種の増殖があり、神の王国としての諸召会を生み出しています。

あなたは使徒行伝に何章あるか、言うことができるでしょうか? おそらくあなたは、使徒行伝には二十八の章があると言うでしょう。もちろん、これは正しいのです。しかしながら、使徒行伝はまだ書き続けられていると言うのも正しいのです。なぜなら、復活したキリストの増殖は、まだ起こりつつあるからです。今までに、使徒行伝は何千章もあるかもしれません。今日でさえ、一章のある部分が書かれたかもしれません。この文書は復活したキリストの増殖であり、この増殖は神の王国であるキリストの拡大です。わたしたちは諸召会の中で、キリストの増殖またキリストの拡大であり、わたしたちは神の王国を拡大しています。これが使徒行伝の継続です。

使徒行伝は、増殖、諸召会、神の王国について語っていることを覚えていてください。神の王国は諸召会であり、諸召会はキリストの増殖です。わたしたちは使徒行伝に印象づけられれば印象づけられるほど、ますますこう言うでしょう、「主よ、わたしたちはあなたを復活した方、昇天した方として礼拝します。わたしたちはあなたの増殖のゆえに、あなたを賛美します。主よ、わたしたちは今日、あなたの増殖であることを感謝します。わたしたちは天におられるあなたと共におり、諸召会は神の王国であることを感謝します」。主イエスは今や天におられます。そしてこの引き上げられた方は、地上で彼の証し人であるわたしたちを通して、彼ご自身を増殖しておられます。このことを、わたしたちは全宇宙に宣言しましょう。


記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第3期第3巻より引用

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