決して後悔することがないように

福音メッセージ

「こんなことになるなら、わたしは……」。このような言葉は、わたしたちの生活の中でよく聞く言葉です。スピード違反で罰金を課される人は、こんなことになるならもっとゆっくり運転していたのにと言うでしょう。学生が試験に落ちるとき、こんなことになるなら遊ばなかったのにと言うでしょう。健康を失った人は、こんなことになるならもっと生活リズムと飲食の習慣に注意したのにと言うでしょう。事故に遭った人は、こんなことになるなら……と言うでしょう。上記のものは突然起こることであり、あるものは無知で起こったもので、あるものは知っていても起こってしまうものもあります。財物を失ったなら、また稼ぐことができます。仕事を失ったなら、また探すことができます。試験に落ちたなら、また受けることができます。しかしながら、命を失ってしまったなら、どんなに悔いても新しく始めることはできません。

主イエスはかつて地上におられたとき、ある金持ちについて語られました。彼は毎日ぜいたくに楽しんでいました。後に死に、ハデス[]で苦しみました。彼はだれかが指先を水に浸して彼の舌を冷やすように願いました。彼は炎の中で、「苦しみもだえている」からです(ルカによる福音書第16章19節―31節)。この物語が語っていることは、人が死んだなら、すべてが終わって何もないのではないということです。生前の日々が終わり、ハデスでの苦しみの日々が始まります。ハデスの中で、炎と渇きの苦しみだけでなく、悔いる苦しみもあります。金持ちは、生前彼の家の門の前で乞食をしていた者が今や彼の父祖の懐で慰められているのを遠くから見て、彼は自分が生前において、神の言葉に注意を払わず、ただぜいたくをすることを知り、自分の霊と魂の救いの事柄を無視したことに対してとても自分を悔いていました。今になって後悔するのでは遅いのです。

親愛なる友人のみなさん、あなたがこの金持ちの道を選ばずに、少し時間をとって、自分の将来における永遠の命と永遠の死の問題について考えることを願います。さらに、あなたが毎日聖書を一章読むなら、「この聖なる書はあなたに、キリスト・イエスにある信仰を通して、救いへと至る知恵を得させることができるのです」(テモテへの第2の手紙第3章15節)。この知恵は、地上の金銀で買うことは決してできません。それはあなたに永遠の命の祝福と喜びを与えることができます。神があなたを導いてくださいますように。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第5期第5巻より引用