千年期

真理

「千年期」とは、キリストが王としてこの世を支配するために再び戻って来てから、新しい天と新しい地が来るまでの期間を言います。地上における主の王国は一千年間続きます。主イエスは、信者たち、ユダヤ人、諸国民を対処した後、千年期をもたらされます。

神の旧創造における最後の時代
千年期は、神の旧創造における最後の時代となるでしょう。これを正しく理解するには、宇宙が三つの時期から成っていることを知る必要があります。第一の時期は、アダム以前の時代(過去の永遠)です。その時期がどれぐらいあったのかを知る者はいません。宇宙の第二の時期は、創世記第一章二節から始まって、来たるべき千年期の終わりまでです。その後、宇宙の第三の時期である、新エルサレムを伴った新しい天と新しい地が永遠に続くのです。

宇宙の第二の時期は成就の時期であって、神はそこにおいて神の永遠の目的を達成されます。この成就の時期は人の創造から始まりました。主イエスが再来する時が、その時期の終わりではありません。なぜなら、古い天と古い地は、主が戻って来られてから、さらに一千年続くからです。この一千年は成就の時期の継続です。主が再来してから、神の目的の成就はより完成に近い段階に入ります。このように、神の目的の成就は人の創造で始まりましたが、終わるのは主の再来の時ではなく、千年期が終わる時です。

すべてのものは復興されるが、新しくされるのではない
千年期は、神の永遠の目的の成就の最終段階の、最も重要な部分となります。なぜなら、何世紀にもわたって、多くのクリスチャン教師たちは、主が戻って来られる時にすでにいっさいのものは成就されているという観念を持ち続けているからです。この考えによれば、主の再来によって千年期というすばらしい時期がもたらされると、古い宇宙は終わり、新しい天と新しい地が始まると思われがちです。しかし、正しい概念とは、主が戻って来られる時に、千年期がもたらされるということです。しかし、どんなに千年期がすばらしいものであっても、やはり古い天と古い地はそのままです。古い天と古い地は千年期に復興されますが、古いものが新しいものへと変えられるのではありません。ですから、アダムの創造の時からキリストの再来までの時期によって宇宙の「復興」がもたらされるかもしれませんが、宇宙が「新しくされること」がもたらされることはありません。最後の一千年(千年期)が過ぎて、はじめて宇宙全体は古いものから新しいものへと変化するのです。その時には、新エルサレムを伴った新しい天と新しい地があるようになるでしょう。

三つの邪悪なものがなおも存在する
わたしたちは、キリストが戻って来られる時、あらゆる問題は解決してしまうという観念に捕らわれてはなりません。その時、全く問題が無くなるわけではありません。第一に、千年期の時、サタンは縛られますが、まだ完全に対処されてはいません。千年期が終わると、彼は再び獄から解放されます。そして、諸国民を欺き、彼らを主との戦いへと向かわせるのです(啓二〇・七―九)。第二に、千年期の時、人の性質の中の悪もまだ完全に対処されていません。あらゆる諸国民はついには征服されますが、千年期の終わりに、ゴグとマゴグが反逆します。これは、人の中に反逆的な性質が依然として残っていることを物語っています。第三に、最後の敵である死(Ⅰコリント十五・二六)も、キリストが再来される時ではなく、千年期の終わりに火の池の中に投げ込まれます(啓二〇・十四)。このように、三つの邪悪なもの(サタン、人の反逆的な性質、死)は、千年期が終わる間際まで存在し続けます。これは、千年期が神の旧創造における最後の時代となること、またこの時、神はこれら三つの邪悪なものを神の宇宙から永遠に排除されることを示しています。

神の旧創造の働きを完成する
過去の永遠と未来の永遠の間には、四つの時代があります。すなわち、律法以前の時代、律法の時代、恵みの時代、王国の時代です。これらすべての時代は、神の新創造に属するのではなく、旧創造に属します。旧創造は、神が必要とされる三種類の人々を備えるために用いられます。すなわち、千年期において王となる召会の勝利者、祭司となる救われたイスラエル人、民となる復興された諸国民です。千年期の時代、召会時代に神の十分な恵みと進んで協力しなかったために成就されなかった信者たちを、神は引き続き成就されます。彼らは成就される前に死んでしまったために、神は依然として旧創造における最後の時代である来たるべき千年期において、彼らを成就されるでしょう。千年期の期間、神はまた復興された諸国民をきよめられます。きよめられた後、彼らは新しい地で、神の子として資格づけられるのではなく、神の民として資格づけられます。

神は三つのグループの人々を必要とされます。すなわち、復興された諸国民、救われたイスラエル人、勝利者です。これらは、千年期の三つの異なる領域です。第一は、神の創造の祝福が及ぶ地上の領域です(創一・二八―三〇)。第二は、ナイル川からユフラテ川に至るカナンの地におけるイスラエルの王国の領域であり、その地は救われたユダヤ人たちの支配下に置かれます(イザヤ六〇・十―十二、ゼカリヤ十四・十六―十八)。第三は、天的で、霊的な領域であり(Ⅰコリント十五・五〇―五二)、そこでは勝利を得た信者たちが王国の褒賞を享受します(マタイ五・二〇七・二一)。千年期における第一の領域の祝福である創造の祝福は、この世の基が置かれた時から復興された民のために用意されているものです。第三の領域である天的で霊的な王国の祝福は、この世の基が置かれる前に信者たちに定められたものです(エペソ一・三―四)。

千年期の時代は準備の時代として神に用いられるでしょう。この時、神は召会時代に成就されなかった信者たちを成就して、神の永遠の王国である新エルサレムに入るために彼らを資格づけられるのです。千年期の間、神は復興された諸国民をきよめて、新しい地の民とされるでしょう。

父なる神からキリストによって受け取られた王国

千年期は父なる神からキリストによって受け取られた王国となることを見せています(ルカ十九・十二十五)。それは、旧約時代からキリストが再来される時までの期間に多くの熱心なイスラエル人たちが待ち望んでいたメシア王国と、新約時代の追い求める信者たちが待ち望んでいたキリストの王国(エペソ五・五)の両方から成っています。このように、旧創造における最後の時代である来たるべき一千年において、神の願い、熱心なイスラエル人の願い、信者たちの願いがみな満たされるのです。

千年期の天的区分と地的区分

天的区分――御父の王国
千年期の天的区分は、御父の王国です。マタイによる福音書第十三章四三節は言います、「その時、義人は彼らの父の王国で太陽のように輝く。聞く耳のある者は、聞くがよい」。千年期の天的部分である御父の王国は、勝利者たちに褒賞として与えられる天の王国の出現です。

旧約と新約のすべての勝利者から成る
これは、マタイによる福音書第八章十一節の主の言葉によって示されます。「わたしはあなたがたに言う.多くの者が東からも西からも来て、天の王国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に食卓に着く」。これは、天の王国の出現のことを言っています。勝利を得た異邦人信者たちが、アブラハム、イサク、ヤコブ、その他の旧約の勝利者たちと共に食卓に着くのは、この天の王国の出現の時です。天の王国の食卓にあずかる勝利者として、彼らは主と共に新契約の杯を新しく飲むことでしょう(二六・二九)。

千年期における新エルサレム
啓示録第三章十二節で、主は言われます、「勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう.彼はもはや決して外に出ることはない.わたしはまた彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち天から出て、わたしの神から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記そう」。ここで、わたしたちが見るのは、勝利者は神の宮の柱となって、その中に建造されるということです。この約束は、褒賞として勝利者に与えられる千年期において成就します。旧約と新約のすべての勝利者たちは、千年期に共に集められて、小規模な新エルサレムとなります。千年期の天的区分を構成する者として、彼らは来たるべき千年期の時代に新エルサレムを構成するでしょう。

旧約と新約のすべての勝利者に対する褒賞
ヘブル人への手紙第十一章二六節は、モーセは、「キリストのそしりを、エジプトの財宝にまさる富と考えました.それは、彼が褒賞をひたすら望んでいたからです」と言います。モーセは進んでキリストのそしりを受けたので、王国の褒賞を受けます。この褒賞は、エノク、アブラハム、ダビデ、パウロを含む、旧約と新約のすべての勝利者に与えられます。わたしたちがキリストを享受し、経験し、表現したならば、褒賞として千年期の天的区分を受ける勝利者の仲間に加えられるでしょう。

勝利者は祭司として、キリストと共に王として支配する
啓示録第二〇章六節後半は、勝利者たちは「神とキリストの祭司であり、千年の間、彼と共に支配する」と言います。ですから、千年期において、勝利者たちは祭司となって神と接触し、またキリストと共同の王となって諸国民を支配するでしょう。主はこう言われます、「勝利を得る者、わたしのわざを最後まで保つ者には、諸国民を治める権威を与える。彼は鉄の杖をもって、陶器を打ち砕くように、彼らを牧養する.それは、わたしもわたしの父から権威を受けたのと同じである」(啓二・二六―二七)。勝利者は祭司として、必要を覚えている人を神にもたらし、神を人に供給します。また王として、彼らは神の権威の中で神を人にもたらし、神を代行して人を牧養します。このように、千年期の天的区分はこの祭司職と王職を行使する領域となるのです。

地的区分――メシアの王国――復興されたイスラエルの王国
復興されたイスラエルの王国――ダビデの幕屋
旧約聖書で、神はユダヤ人に対して油塗られた方、すなわち、メシアがダビデの王座を受け継ぐために来て、ユダヤの民(イスラエルの民)を復興することを約束されました。アモス書第九章十一節から十二節は次のように言います、「その日、わたしは倒れたダビデの幕屋を起こし、その城壁の破れを繕い、その廃虚を起こし、昔の日々のように建てる.これは、彼らがエドムの残された者と、わたしの名によって呼ばれているすべての諸国民を所有するためである.この事をなされるエホバは告げられる」。イスラエルの王国は、再建されるダビデの幕屋です。主はマタイによる福音書第十三章四一節でこう言われました、「人の子……の王国」。これは千年期の地的区分であり、メシアの王国、復興されたイスラエルの王国です。主は千年期の間、ダビデの王座に着いて、イスラエルの王国を支配するだけでなく、地上の諸国民をも支配されるでしょう。

救われたイスラエル人は祭司となる
古代、祭司は神の民の間で、ごくわずかでした。ゼカリヤ書第八章二三節は言います、「万軍のエホバはこう言われる、『それらの日には、あらゆる言語の諸国民の中から十人の者がつかみ、すなわち一人のユダヤ人のすそをつかんで言う、「あなたがたと一緒に行こう.神があなたがたと共におられることを聞いたからだ」』」。この節は、千年期の間、異邦人は諸国民となり、救われたイスラエル人はみな祭司となって、異邦人に神を礼拝することを教えるようになるということです。諸国民は祭司から神の教えと指示を受けて、祭司は彼らに神を礼拝し、神に仕えることを教えます。

世の基が置かれた時から用意されている王国
反キリストの迫害の下で、永遠の福音が諸国民に宣べ伝えられます(啓十四・六―七)。このことは、マタイによる福音書第十三章四七節から五〇節の網のたとえによって例証されています。主はモーセの律法やキリストの福音によってではなく、永遠の福音によって諸国民を裁かれるのです。その福音に聞きしたがって苦難に遭う信者やユダヤ人を好意的に扱った者は、祝福され、義人として認められて(マタイ二五・四六)、王国を受け継ぎます。主は羊と見なされている人たちにこう言います、「さあ、わたしの父に祝福された者たちよ、世の基が置かれた時から、あなたがたのために用意されている王国を、受け継ぎなさい」(三四節)。しかし、そうしなかった者は、のろわれて、永遠に滅びるでしょう(四一節)。永遠の福音と恵みの福音は同じではありません(使徒二〇・二四)。恵みの福音は、永遠の命を信者たちにもたらします(ヨハネ三・十五―十六)が、それは彼らが神の命によって生きるためです。永遠の福音は羊を永遠の命の中にもたらしますが、それは彼らが神の命の領域の中で生きるためです。

復興された諸国民は民となる
千年期の地的区分のユダヤ人の周囲には、守られ、復興され、元の状態に戻された諸国民がいます。ですから、千年期の地的区分には、悔い改めたユダヤ人が祭司となり、諸国民が元の状態に戻され、復興され、守られた諸国民は民となるでしょう。被造物は復興されて(使徒三・二一)、戦争はもはやなく、地は平和に満ちるでしょう。
この復興は、人だけでなく、全被造物(天、地、動物、木々)にも及びます。人の堕落によってのろわれたすべての物は復興されるでしょう。イザヤ書第三〇章二六節は言います、「月の光は太陽の光のようになり、太陽の光は七倍になって、七つの日の光のようになる」。今日、太陽と月はサタンの反逆と人の堕落のゆえにのろわれ、正常な状態でなくなってしまいました。地は今日、創世記の人の堕落のゆえにのろわれています。このように、地はもはや正常な状態ではなくなってしまいました(創三・十七―十八)。しかし、万物復興の時には、地は再び初めの状態にまで復興されるでしょう。こうして、「おおかみは小羊と共に住み、豹は子やぎと共に伏」す(イザヤ十一・六)ほどにまで、獣や家畜は復興されます。これは奇跡的な事でなく、正常で、普通の光景となるでしょう。何とすばらしい、栄光の王国であることでしょう!

旧創造が終わる時、父なる神に渡される
キリストは贖いを達成した後、父から王国を受けに行かれました(ルカ十九・十二十五)。千年期の前に、彼は人の子として、王国を神(日の老いた方)から受けて、一千年間すべての諸国民を支配されるでしょう(ダニエル七・十三―十四、啓二〇・四―六)。千年期の間、主が復興された諸国民をきよめ、すべての信者を成就する働きを成し終えた後、彼は父から受けた王国を再び父に渡されるでしょう。コリント人への第一の手紙第十五章二四節は言います、「それから終わりが来ます.その時、彼は王国を彼の神すなわち御父に渡されます.その時、すでに彼はすべての支配と、すべての権威と力を廃棄しておられます」。ここで、「終わり」と訳されたギリシャ語は、実際には完成を意味します。この節は旧創造のもろもろの時代と経綸の終わりを示しています。「その時」は、神のすべての目的が成就し、旧創造が終局を迎える時です。その終わりは、召会時代の完成の時に来るのではなく、千年期の終わりにやって来ます。その時、新しい天と新しい地と共に永遠が訪れるのです。

パウロは二五節で続けてこう言っています、「なぜならキリストは、神がすべての敵を彼の足の下に置かれるまでは、王として支配しなければならないからです」。キリストが長く支配すればするほど、それだけ多くの敵が彼の足の下に置かれるのです。ついに、旧創造の最後の時代である千年期が終わる頃、あらゆる敵はキリストの足の下にあるでしょう。この「まで」とは、このことが一千年の終わりまで続くという意味です。そのとき、主はサタン、悪魔、(すべての支配、権威、力である)彼の邪悪な天使たち、すべての敵を彼の足の下に置き、死とハデスも含むそれらいっさいのものを火の池の中に投げ込まれます(啓二〇・七―十十四)。

パウロはコリント人への第一の手紙第十五章二六節でこう言っています、「死は最後の敵として滅ぼされます」。人が堕落してすぐに神は罪と死を滅ぼす働きを始められました。この働きは旧約と新約という両方の時代にわたって行なわれてきましたが、今日依然として継続中です。罪が旧創造の終わりに除去され、その源であるサタンが火の池の中に投げ込まれる時、死は滅ぼされます。また、死は白い御座の最後の、最終の裁きが終わった後、その力であるハデスと共に火の池の中に投げ込まれます(啓二〇・七―十五)。

キリストがサタンの権威を廃棄し、すべての敵を征服し、最後の敵である死を滅ぼし、あらゆる消極的な事柄を除き去るとき、旧創造は終局を迎えます。キリストは王国を父なる神に渡されます。そして、その時、新エルサレムを伴った新しい天と新しい地が現れます。新エルサレムは神の永遠の定められた御旨を実現し、また、わたしたちの永遠の享受と経験のために、永遠の神の王国となります。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第6期第6巻より引用

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