水をぶどう酒に変える

福音メッセージ

聖書は、主イエスが婚宴において、ぶどう酒が尽きたので水をぶどう酒に変えるしるしを行なったことを記載しています(ヨハネによる福音書第2章)。婚宴は人生の楽しみを象徴します。ぶどう酒が尽きることは、人生の楽しみが終わりにきたことを意味します。人生のあらゆる面の楽しみは、人の命に限りがあるので常に無くなってしまいます。人々は日々享楽にふけり、楽しい人生を送ることができますが、必ずある日、人の命の終わりがやってきます。必ず終わりの日がやってきます。主イエスは人々の間にやってきて、水をぶどう酒に変えること、すなわち死を命に変えるしるしを人にもたらしました。

ちょっとした伝染病、事故、怪我で人は死に追いやられることを否定することができません。少しの問題で、人は痛みを感じます。少しの悲しいことで、人は多く悩みます。少しの恐ろしいことで、人は恐れおののきます。今日、自分の事業に対してとても順調であると言える人は少ないです。少しの環境の変化、人事の異動だけで、人が生涯において心血を費やして成功させた事業が、瞬く間に散ってしまいます。さらに道徳において、少しの誘惑にも打ち勝てず、結果として身の破滅に陥り、収拾がつかなくなります。これが証明しているのは、人の命には限りがあり、この命が人にもたらすことができる楽しみも尽きてしまうということです。ただこの命の主だけが、不死の命、力強い命、永遠に存続する命を人に与え、人の必要を満たすことができます。

友人のみなさん、わたしたちの人生の中心的な必要は、命の変化です。主イエスだけが人の内側にあるあの朽ちていき尽きていく命を、最上で永遠の命に変えることができます。この命がわたしたちに与える供給は尽きることがない楽しみであり、永遠に終わることはありません。あなたがただ願うなら、今、彼を受け入れ、あなたの永遠の満足とすることができます。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第5期第7巻より引用

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