福音Q&A 無神論と有神論のどちらが科学的? どちらが迷信的? 。

福音メッセージ

ある人は神を信じることは迷信であり、科学的ではなく、無神論であることが時代の傾向であり、科学的であると思っています。

このような観念は、実は誤解であり、勘違いです。

なぜなら、もしあなたはまったく存在しないものを信じているなら、それこそ迷信です。しかし、もしあなたは客観的に存在しているものを信じているなら、それは迷信ではなく、科学的です。

無神論は科学的ではない
科学の基本的な精神は、事実を求めることであり、そうであるならそうであり、そうでないならそうではなく、あるならある、ないならないです。その基本的精神は、すべてのことは検証しなければならないということであり、証明できることです。この角度から見て、無神論は事実上科学的ではないということです。なぜなら、無神論は宇宙に神、創造主、管理者、主権がいないということを宣言していますが、そのような宣言は検証されていないからです。神がいないことを検証することはできません。なぜなら、有限の人は無限のものが存在しないということを証明することはできないからです。ですから、無神論がこのような宣言をすることは科学的ではありません

無神論の内幕ーーー
無神論は5種類に分けることができる

(1)時代の流行を追う無神論
彼らは自分たちを新時代の人であると考え、人より思想が前進しており、人より能力が高いと思っています。もし、神がいることを認めるなら、「あなたも迷信家なのか?」と人にあざ笑われるでしょう。これによって彼らの面目はつぶれてしまいます。しかしながら、彼らは口先で神はいないと言っているだけで、実際に神がいるかどうかを研究したことはありません。

(2)自分を欺く無神論
彼らが神を信じないのは、神がいないことを証明したからではありません。それは、彼ら自身の行ないが悪く、神がいることを認めることができないからです。強盗は警察がいないことを望み、学生はテストの監視員がいないことを望み、悪人は法律がないことを望むように、彼らは神がいないことを望みます。彼らは真に神を信じないのではなく、彼らの行ないのゆえに、彼らは神を信じることができません。このような無神論者は、ほとんど道徳において破産したものです。人が神を信じないとき、不道徳が人の中へと入ります。

(3)頑固な無神論
これらの人は神がいないということで特別な理由はありません。彼らはとても頑固であり、言い出したら変えることはなく、言い出したものは、決して撤回しません。たとえ、三日三晩彼に神がいることを説明し、彼自身も自分が正しくないことを知っていたとしても、彼はなお頑固に言い返して、屈服しようとしません。彼らはかたくなで自信過剰であり、他の人が語っていることが理にかなっているかどうか、信用できるかどうかを冷静になって考えたことはありません。彼らの議論はただ、批判的になって話の中で勝利を勝ち取るだけです。

(4)職務上の無神論
この種類の人は自分の地位の関係上、神を信じることができません。彼らは科学者という看板を掲げており、教育家という肩書きを持ち、迷信に反対する宣言をしている指導者であるので、どうして神を信じることができるでしょうか? しかし、彼らが素直に自問するとき、神はいないと自信をもって言うことができないでしょう!

(5)理性的な無神論
この種類の人は、最も正当な態度を持っています。彼らは非常に理にかなっています。もし、あなたが彼らに証明することができるなら、彼らは受け入れます。しかしながら、この種類の人はどれだけいるでしょうか? わずかしかいないでしょう! そして真に研究と調査によって神がいないと言う人は一人もいません。昔も、今も、だれ一人正確に神はいないと証明できる人はいません。もし、だれかが真剣に研究するなら、彼は必ず神がいるというようになるでしょう。なぜなら、神はこのように言いました、「すべて求める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれるからである」(マタイによる福音書 第7章8節)

神を信じることは科学的である
神を信じることが科学的であるのは、神を信じている人自身が経験して、自分で証明しているからです。この神は客観的に存在しており、宇宙の創造主であり、人が触れて受け入れることができる霊です(ヨハネによる福音書 第4章24節)。神が人を造ったとき、特別に人のために霊を造りましたが(ゼカリヤ書 第12章1節)、この霊は神と接触する器官です。ですから、わたしたちが霊を用いてこの神に触れ、信じ、受け入れるとき、神は人の中で何かの作用を起こします。この作用は、人それぞれ同じではないかもしれませんが、みな感覚があり、知ることができます。電気の存在が客観的であるように、電気が異なる電気製品に入るとき、異なる作用を起こします。照明器具、冷蔵庫、加熱器などはみな、電気が作用を起こしています。

今日この神は宇宙のエネルギーの源のようであり、わたしたちが心を整え、霊を開き、この霊である神に触れるとき、神聖な電流は絶え間なくわたしたちの中に伝達し、供給します。彼の霊がわたしたちの中に入るとき、わたしたちの人生に不思議な大変化をもたらし、むなしい人生が充実し、平安、喜び、愛の心に満たされます。このような変化は、わたしたちが感じ取り、経験することができるものです。

ですからクリスチャンが信じている神は、客観的に存在している神だけではなく、主観的に経験することができる神です。そして、経験が証明です。この意味から見て、クリスチャンが神を信じることは科学的であり、客観的に存在している神を信じています。それだけでなく、わたしたちがこの客観的に存在している神を内側に受け入れるとき、彼はわたしたちの主観的な経験となります。

この神は彼を信じて受け入れる者の中に喜んで入り、彼と結合し、一になることを願っています。あなたはこのような実験をしてみてはいかがでしょうか? あなたの心を開いて、彼の名を呼び求めます。「おお、主イエスよ」。このような簡単な祈りで、彼はあなたの中に入ってきます。科学的な態度というのは、実験をすることです。あなたもこの実験をしてみれば、神を信じることは迷信ではないことを知るでしょう。これは、証明することができる、経験することができる科学です。

JGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第2期第2巻より引用