永遠の栄光

福音メッセージ

オリンピックはすべての運動選手の夢見る場所であり、金メダルを得ることはまさに出場する者の究極の目標です。二〇二一年の東京オリンピックの男子高跳びで、史上初の二人の金メダリストが誕生しました。その金メダルを獲得した一人のイタリア選手は感動して、一つの足の石膏を抱きながら涙しました。実は前回のリオオリンピックのとき、この選手はもはや今後出場ができなくなるほどひどい足の怪我をしました。しかし、彼は数年のつらいリハビリと訓練を経過し、すべてをかけ、すべてのものを惜しまずに努力しました。また外した石膏を、自分自身を励ます幸運の物としました。なぜなら、彼にとってオリンピックに出場することの価値を彼は知っていたからです。また、費やしたすべてのものはオリンピックの金メダルの栄光とは比べものにならないと彼は見ているからです。

しかしながら、聖書はわたしたちに告げていますが、神だけが栄光であり、栄光は永遠の神ご自身です。この栄光の神にはご計画があり、それは罪人を神の子とならせ、神の命と性質をもって神を表現させることです。ですから、神ご自身が人と成られ、手順を経て、十字架に釘づけられて死んで復活し、命を与える霊に成られました。わたしたちがただ信じて受け入れるなら、この命を与える霊はわたしたちの中に入ってきて、神ご自身を要素としてわたしたちの中に伝達し、わたしたちの命となられます。神の命がわたしたちの中で成長するとき、わたしたちは彼の完全な救いを完全にまで享受することができます。この救いはわたしたちを彼との結合へともたらし、神が彼の命の中で、わたしたちに栄光を得させる段階まで救われます。主が再臨するとき、わたしたちは彼と共に栄光の中で現されます(コロサイ3:4)。

人がどれだけ偉業を成し遂げたとしても、得た誉れは、最終的に忘れ去られてしまいます。永遠に存在する神だけが過ぎ去ることはありません。わたしたちがどのような人であっても、どのような経験を持っていたとしても、わたしたちがこの神を受け入れることを願うなら、彼の全体的な救いを享受することができます。最終的に、この救いは、「ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたら」します(Ⅱコリント4:17)。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第6期第5巻より引用

 

タイトルとURLをコピーしました