あらゆる時代に、サタンが力を尽くして極みまでその状態を破壊したとき、常に神の目に恵みを得て、時代を転換する者となった一人の人、あるいは少数の人がいました。創世記第6章では、神は敵の破壊のゆえに、人を創造したことさえ悔やみました。しかし、ノアは神の目に恵みを見いだしました。彼の生活は時代を変えた生活であり、彼の働きは時代を変えた働きでした。
時代を変えたノアの生活
創世記第一章と第六章には大きな対比があります。第一章で、神はご自身のかたちに人を創造されました。その目的は、人が神のかたちをもって神を表現し、神の権威をもって神を代行することでした(二六―二八節)。創世記第六章で、人は極みまで邪悪になり、腐敗してしまい、神は人を造ったことで悲しみました。もし神が、「わたしの当初の目的を忘れてしまおう」と言ったなら、彼の敵は彼をあざ笑って、「あなたは人を創造してわたしを打ち破ろうとされましたが、わたしを打ち破るどころか、わたしがあなたを打ち破りました」と言うでしょう。この時、聖書は言います、「しかし、ノアはエホバの目に恩恵を得た」(創六・八)。これは創世記の中で最大の節の一つです。「しかし、ノアは……」は、状況を転換させ、時代を変えました。
父祖たちの敬虔な道を受け継ぐ
ノアは多くの敬虔な父祖を持っていました。アダムにおいて、わたしたちは救いの道を見ます。アベルの道は、ささげ物をささげることによって神を喜ばせる道でした(ヘブル十一・四)。エノスは主の御名を呼び求めて、主であるすべてを享受しました(創四・二六)。エノクは神と共に歩む道を発見しました。ノアは、彼の父祖たちのように、神のために生き、人の正当な増殖のために子供たちを生み、神が人類を通してこの地上で彼の目的を成就することができるようにしました。
その世代と神の意図に関して啓示を得る
ノアは父祖たちからこれらの敬虔な道を受け継いだだけでなく、ノアの父祖たちのだれも見なかったさらに進んだ啓示を与えられました。神はご自身が箱船を必要としているという啓示を与えただけでなく、その世代の真の状況を見せました。神がノアに来て、この腐敗した世代を終わらせ、新しい時代をもたらすというビジョンをノアに啓示しました。
見た啓示を信じて実行する
ノアは啓示を受けた後、それを信じて実行しました(六・二二)。彼は、父祖たちや同世代の人たちと異なっていることを気にせず、それを実行しました。神の啓示は常にあなたを異ならせるでしょう。ダニエルと三人の仲間は異なっていました。なぜなら、彼らは啓示を得て王の食物を食べることを拒んだからです。わたしたちが何かを見るときはいつも、それはわたしたちを異ならせます。
時代を変えたノアの働き
義を宣べ伝える
ノアは義を宣べ伝えました(Ⅱペテロ二・五)。これは、当時の邪悪な世代に反対することでした。ノアの世代は邪悪で、暴虐に満ちていましたが、ノアは、義を宣べ伝え、すべての不義、邪悪、暴虐に反対した人でした。彼は神の義の道を証ししました。
神の啓示にしたがって信仰によって箱船を建造する
「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事柄について神から指図を受け……彼の家の救いのために箱船を用意しました.このことを通して、彼はこの世を罪に定め、信仰による義の相続人となりました」(ヘブル十一・七)。ノアは伝統や、自分の観念や発明にしたがってではなく、絶対に神の啓示にしたがって建造しました。その働きは独特で、特殊で、奇妙でした。人の目に、それは非現実的でした。ノアの家族以外のだれも、その働きを評価しませんでした。このように箱船を建造することは、完全にその世代の傾向に逆らっており、「この世を罪に定め」ました。
箱船全体はキリストの予表です(Ⅰペテロ三・二〇―二一)。キリストはカヌーではなく、箱船です。カヌーは一本の木をくり抜いたものです。箱船は、正しく組み合わされた多くの部分から構成されており、一つの建造です。カヌーは単独的ですが、箱船は建造された集合体です。
箱船の大きさ
箱船の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトでした(創六・十五)。聖書では、三という数は三一の神、すなわち父、子、霊を表徴します(マタイ二八・十九)。聖書は、神と人のミングリング、神が人の中へと入られること、神が人の中へと分与されることについて語るときはいつも、神聖な三一の事柄を用います。五という数は何を意味するのでしょうか? わたしたちの手の指と足のつま先を見るなら、五本で一組になっています。それぞれの五本の指は、四プラス一から成っています。親指は一で、唯一の創造主(神)を表しています。四は神の被造物の数で、四つの生き物のようです(啓四・六)。ですから、四プラス一は、神の被造物(人)に神が加えられたことを意味します。
三と五という数が表徴する思想は、三一の神と人とのミングリングであり、また神の建造です。神の建造とは、ご自身をわたしたちの中へと、またわたしたちを彼の中へと建造し込み、彼をわたしたちと一にし、わたしたちを彼と一にすることです。ですから、箱船の基本的な数である三と五は、この建造が神と人とのミングリングであることを表徴します。
箱船の三つの階
箱船は一階、二階、三階の三つの階からなっていました(創六・十六)。箱船の三つの階は、わたしたちが到達しなければならない高さを表徴します。箱船の三つの階はまた、三一の神を表徴します。わたしたちの経験によれば、その霊がまずわたしたちに来て、わたしたちを御子にもたらし、わたしたちに感動を与えて御子を信じさせました。わたしたちは御子を信じた後、「おお、父よ!」と呼びました。わたしたちは御父に来るとき、三階にいます。
明かり窓
箱船には天に向かう一つの明かり窓がありました(十六節)。箱船にはただ一つの窓があるだけでした。これは、神のエコノミーの中と神の召会の中には、一つの窓、一つの啓示、一つのビジョンだけがあるべきであることを語っています。わたしたちの光が多ければ多いほど、ますます高いところにいます。わたしたちが一階、二階、三階のどこにいるかは、わたしたちが持っている光の程度によって証明されます。
箱船の材料
箱船はゴフェルの木でできていました(十四節)。ゴフェルの木は、樹脂のたっぷりあるいとすぎ、一種の樹脂の多い木であり、水の侵入に耐えることができます。これは十字架につけられたキリストを予表しています。彼は、死の水に抵抗することができます。彼は死を味わわれましたが、死は彼に何もすることができませんでした。キリストは真のゴフェルの木であって、どのような洪水にも抵抗するほどに強いのです。
樹脂を塗る
「樹脂」のヘブル語の言葉には、「罪を覆う」というヘブル語の言葉と同じ語根があります。このヘブル語の語根の主要な意味は、覆うことです。これは、キリストの中で、わたしたちが完全なおおいを持つことを意味します。キリストは十字架につけられた方であるだけでなく、血を流してわたしたちを覆って、わたしたちが罪の刑罰を免れるようにしてくださった方です。わたしたちはみなキリストの贖いのおおいの下にいます。樹脂はキリストの贖いを表徴し、それは神の建造の内側と外側を覆います。わたしたちは血を見ると平安を持ちます。神は血を見ると満足します。サタンは血を見ると攻撃することができません。御使いたちは血を見ると歓喜します。
水を通して救われた
ペテロの第一の手紙第三章二〇節ははっきりと言っていますが、「……ノアの日に、箱船が用意されていた間、……箱船に入り、水の中を通って安全に救われたのは、わずかに八人でした」。ノアは曲がったよこしまな時代に生きていました。彼の一家は水を通して救われる必要がありました。人類の第一の堕落の結果、サタンの邪悪な性質が、人の中へ注入されました。第二の堕落の時、人は神の御前から離れ、神のない人類文化へとそらされました。人の第三の堕落において、この文化は邪悪な世代をもたらし、曲がった、腐敗した、よこしまな世代を生み出しました。その世代は神の目に罪定めされました。これだけでなく、地上には暗やみの邪悪な勢力がありました。その結果、神は来てその時代を裁き、終わらせなければならなかったのです。その時代に地上に住んでいた者はみな、二つの事、すなわち神の裁きと暗やみの邪悪な勢力の下にありました。
箱船の内側と外側に塗られた樹脂は、キリストの贖う血を予表します。こうして、ノアは箱船に塗られた樹脂によって、神の裁きから救われたのです。また、神の救いはノアを神の裁きから救い出しただけでなく、さらに彼をこの曲がった、よこしまな、邪悪な世代からも救い出しました。ノアが経過した水はバプテスマの予表です(Ⅰペテロ三・二〇―二一)。これは聖書の中でのバプテスマの最初の記述と考えられます。これは創世記の中のバプテスマの種です。このバプテスマの種は、まずイスラエルの子たちが紅海を経過した事例において発展しました(Ⅰコリント十・一―二)。
イスラエル人は神の選びの民でしたが、堕落してエジプトへと漂流していきました。エジプトは神の裁きの下にありました。イスラエル人もそこにいたので、同じように神の裁きの下にありました。彼らは同時にパロとエジプト人の権力の下にもありました。彼らのエジプトからの脱出は、神の裁きから逃れることではなく、エジプトの奴隷状態からの解放でした。まず、彼らは小羊の血の贖いを享受しました。彼らは小羊をほふり、その血を門柱に塗りました。このようにして、イスラエル人は贖う血によって覆われ、神の裁きから救われました。これに続いて、彼らはみな小羊の肉を食べました。この小羊の肉は、彼らを力づけてエジプトから脱出させました。神は彼らを裁きから救われましたが、エジプトの王パロは、彼らを行かせようとしませんでした。こうして、パロは彼の軍隊を遣わして、イスラエル人を引き止めました。神は紅海を分けてイスラエル人が渡るようにしました。イスラエル人が海を通過した後、パロの軍隊が続きました。彼らが紅海の真ん中に来た時、モーセは海に向かって手を差し伸べると水が戻り、パロの軍隊とエジプト人のすべての力は葬られました(出十四・二六)。イスラエルの子たちは二重の救いを享受しました。第一の面の救いは贖う血であり、第二の面の救いは裁く水でした。
後ほど、新約時代が来た時、この時代を開くために起こった最初の事は、神がバプテスマのヨハネを遣わして、民をバプテスマすることでした。彼は人々を水でバプテスマする目的をもって来ました。わたしたちにとって、裁く水はキリストの十字架です。主イエスは十字架に行こうとした時、宣言されました、「今は、この世が裁きを受ける時である。今、この世の支配者は追い出される」(ヨハネ十二・三一)。サタンもこの世も十字架上で裁かれました。主イエスの十字架上の死は、裁きの水でした。サタンと彼の世にとって、十字架は裁きでしたが、わたしたちにとって、この十字架上の裁きは救いです。これは神の罪定めからの救いではなく、サタンの力からの、またこの暗い時代の邪悪な影響からの救いです。神はエジプト人を裁く紅海をもって、イスラエル人をエジプト人の邪悪な力から救いました。神はサタンとこの世を裁く十字架をもって、わたしたちをこの罪定めされた世代から救います。
わたしたち自身の救いを成し遂げる
多くのクリスチャンはただ浅薄な福音を宣べ伝えて、人にイエスを信じて滅びから免れるようにと告げるだけであり、箱船を建造する必要があることについて無知です。もしあなたが、「わたしたちはこの世代から救われるために箱船を建造しなければならない」と言うなら、人々はあなたを罪定めして、「わたしたちが救われるのは恵みによるのであって、働きによるのではない」と言うでしょう。しかし、ノアは彼の働きによって建造された箱船によって救われました。ピリピ人への手紙第二章十二節から十六節は言います、「恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい。なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです……それは、あなたがたが、曲がったよこしまな世代のただ中で、責められるところのない、たくらみのない、すなわち傷のない神の子供たちとなり、彼らの間で世にあって発光体のように輝き、命の言を提供するためです」。「あなたがた自身の救いを成し遂げなさい」とは何を意味するのでしょうか? それは命の言葉を提供すること、輝くこと、照らすこと、キリストを生かし出すことです。これは、神がわたしたちの内で活動して、わたしたちに願わせ働かせることを通してです。神がわたしたちの内で働いておられるのですから、わたしたちは自分の救いを成し遂げなければなりません。
救われた者はだれも滅びることはありませんが、わたしたちはこの曲がったよこしまな世代からわたしたちを救うさらに進んだ、さらに高い救いを必要とします。神の裁きに関する限り、わたしたちはみな救われましたが、神のエコノミーに関する限り、わたしたちは欠けています。神はすでにこの世を罪定めしましたが、あなたはまだそれを愛しています。神はすでにこの時代から逃れるようにとあなたに警告しましたが、あなたはまだその中にしっかりと根を下ろしています。あなたはさらに進んだ、さらに高い救いに欠けています。ピリピ人への手紙第二章で述べられている救いは、滅びからの救いではなく、曲がったよこしまな世代からの救いです。
ノアが建造した箱船は、彼を神の裁きから救っただけでなく、曲がったよこしまな世代から救い出しました。わたしたちもこのような救いを成し遂げなければなりません。ノアは滅びから救い出されただけでなく、その邪悪な時代から救い出されて新しい時代をもたらしました。彼が建造した箱船は、古い時代を終わらせ、新しい時代をもたらしました。これは、ノアが建造した救いです。このような救いは、神が用意したものであるだけでなく、救われた人が団体的な協力を通して建造したものです。
この世代を終わらせ、新しい時代をもたらす
原則において、わたしたちの状況はノアの状況と全く同じです。今日の世代は腐敗しており、地上は邪悪と暴虐に満ちています。人の観念によれば、神は打ち破られて、この地から追い出されたかのようです。しかしながら、創世記第六章八節には、大いなる「しかし」があります! 何人かの愛する人たちは、第一世紀から現在に至るまでの、聖徒たちのすべての敬虔な道を受け継ぎました。主の回復は、過去の世紀に実行されたすべての敬虔な道を受け継ぎました。しかし、わたしたちはこれで満足することはできません。なぜなら、神の最終の目的にはまだ到達していないからです。あなたは神がこの時代を終わらせる必要があることをはっきりと見たでしょうか? 神は世代が変わるのを必要とされます。神は、彼の民をこの世代から連れ出して、新しい時代を開始することができるために箱船を必要とされます。
今日の箱船とは何でしょうか? それは諸召会です。神はノアに箱船を啓示されました。神はまたわたしたちに正当な召会生活の必要を啓示されました。正当な召会生活は、神が今日、必要とされる箱船です。この世代を終わらせ、新しい時代をもたらすために、召会生活がなければなりません。神は諸召会を起こす必要があります。神の意図は、彼を愛する者、追い求める者を引き付け、彼らを集めて正当な召会生活を実行させ、敵の暗やみの王国に対する証しとならせ、彼の再来のために準備をさせることです。これが今日の彼の意図です。わたしたちはみなこの事を見て、今日のノアとなり、この「箱船」である召会を建造し、この世代を終わらせ、王国の新しい時代を導入しなければなりません。
記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第6期第3巻より引用