ヘブル人への手紙第十一章は、信仰とその歴史に関する章です。三節から四〇節で、信仰の歴史を簡潔に提示します。それは神の創造から、神の選びの民の全世代を通じて、すべての新約の信者たちに至り、新エルサレムを永遠にわたって究極的に完成します。そしてそれは、信仰が、神を追い求める者たちが彼の約束を受けて彼の道を取る唯一の経路であることを証明します。
この信仰の歴史に含まれたすべての人は、証し人でした。ですから、ヘブル人への手紙第十一章は、信仰とその歴史についての章であるだけでなく、信仰の証し人の章でもあるのです。ここの「証し」という言葉は証言ではなく、証しする人のことを言っています。ギリシャ語で、証しという言葉は、殉教者という言葉と同じです。証しする人はみな殉教者であって、信仰の証しのために殉教しました。わたしたちは、主に従い、主の臨在を享受し続けるために、信仰の歴史とその証し人を認識する必要があります。
信仰の歴史とその証し人
信仰によって、わたしたちは、宇宙が神の言葉によって組み立てられていることを知っています(ヘブル十一・三)。学者たちは多くの時間を費やして、宇宙がどのようにして組み立てられたかを知ろうとしてきました。これに関する彼らの考えはすべて無意味です。宇宙は、神の言葉によって組み立てられました。神が語られると、それは存在するに至りました。わたしたちは、これをわたしたちの五感で知るのではなく、信仰によって、実体化する感覚によって知ります。
アベル、エノク、ノア
アベルはさらにすぐれたいけにえをささげました(四節)。予表によれば、アベルのさらにすぐれたいけにえは、実際の「まさったいけにえ」(九・二三)であるキリストの予表でした。ヘブル人への手紙を読むことによって、キリストご自身だけが、さらにすぐれたいけにえであるのを見ることができます。信仰によって、アベルはそのようないけにえの予表をささげました。エノクは信仰によって、死を見ないように移されました(十一・五)。彼が移される前に、エノクは死から移されただけでなく、死を見ることから移されました。ノアは信仰によって、救いのために箱船を用意しました(七節)。ノアの状況を考えてみましょう。ノアが来たるべき洪水のために箱船を建造していた時、だれも彼を信じませんでした。空は晴れており、だれも洪水が来ることを予想していませんでした。それにもかかわらず、ノアは来たるべき洪水を信仰によって実体化して、箱船を建造しました。
アブラハムとサラ
アブラハムは信仰によって、彼は神の召しに従って彼のふるさとを離れ、他国人として約束の地に住みました(八―九節)。アブラハムは神に従い、「どこへ行くかを知らないで」カルデアから出て行きました。これは、アブラハムが、神の臨在を彼の地図として、彼の信仰を活用して神の即時的な導きに対して神に信頼する機会を、絶えず彼に与えました。信仰によってアブラハムは、「土台のある都を熱心に待ち望んでいたからです。その設計者と建築者は神です」と言いました(十節)。これは、生ける神の都であり、神が彼の民のために備えられた(十六節)ものであり、神がその中で人と共に永遠に住まわれる神の幕屋です(啓二一・三)。
アブラハムはまたイサクをささげた時、信仰によって行動し、「神は死人の中からさえ人を復活させることができると考え、型として、死人の中から自分の子を返してもらったのです」(ヘブル十一・十七―十九)。ヘブル人への手紙第十一章十二節は、アブラハムの子孫に言及して、こう言っています、「こういうわけで、一人の死んだような人から、天の無数の星のように、数えきれない海辺の砂のように、多くの者が生まれたのです」。天の星はアブラハムの天的子孫、信仰の子孫(ガラテヤ三・七、二九)を表徴します。海辺の砂は、彼の地的子孫、肉にある子孫を表徴します。
アブラハムと他の父祖たちはみな、「信仰の中で死にました……地上では旅人であり、寄留者であることを告白しました」(ヘブル十一・十三)。寄留者と訳されたギリシャ語の言葉はまた、「旅人」、「流浪者」、「故郷を去った人」とも訳すことができます。アブラハムは最初のヘブル人(創十四・十三)、川を渡る者でした。彼はのろわれた偶像の地であるカルデアを離れ、大河ペラテ川、すなわちユフラテを渡り(ヨシュア二四・二―三)、祝福の良き地であるカナンに来ました。ところが、彼はそこに定住しませんでした。むしろ、彼は居留民として、さらに流浪者、放浪者として約束の地に寄留し、さらにまさった国、天のふるさとを切望しました(ヘブル十一・十六)。これは、彼が別の川、地的な側から天的な側に渡る準備があったことを示しています。イサクとヤコブは彼に続いて同じ道を歩き、旅人また寄留者として地上に生き、神が建てた土台のある都を待ち望んでいました(十節)。アブラハムの妻であるサラは、「信仰によって……年齢を過ぎていたのに、子を宿す力を受けました.それは彼女が、約束された方は信実であると考えたからです」(十一節)。サラは子を宿す機能が終わった老女となっていたのに、その状態の中でも、神の言葉を信じました。
イサク、ヤコブ、ヨセフ
「信仰によって、イサクは来たるべき事柄について、ヤコブとエサウを祝福しました」(二〇節)。イサクの歴史を見るなら、彼は賢い人ではなかったことを見るでしょう。彼は実に平凡で、特別なものは何もありませんでした。それにもかかわらず、彼は驚くべきことを行ないました。彼は二人の息子、ヤコブとエサウを祝福しました。イサクは彼らを盲目的に祝福したのですが、信仰の中で行ないました。
「信仰によって、ヤコブは死の間際に、ヨセフの子たちを一人ずつ祝福し」ました(二一節)。ヤコブはヨセフの二人の子たちを祝福した時、信仰によってだけでなく、とてもはっきりした視力をもって祝福しました。彼の内なる視力は極めてはっきりしていました。ヨセフがヤコブの手を移し換えようとして、彼の右の手が長男のマナセの上にではなく、エフライムの上にあるのが不満であった時、ヤコブは拒んで、「わかっている、子よ、わたしにはわかっている」と言いました(創四八・十五―十九)。ヤコブには自分が行なっていることがわかっており、ヨセフの子たちを信仰によって祝福しました。さらに、ヤコブはまた「杖の頭に寄りかかって神を礼拝」する者でした(ヘブル十一・二一)。これは、ヤコブが地上では寄留者、旅人であることを告白したことを暗示します(十三節)。なぜなら、杖は定住者ではなく、寄留者のしるしであるからです。ヤコブの杖はまた、神が彼の牧者であり、彼の全生涯、牧養されたことを示しています(創四八・十五)。こういうわけで、彼が杖の頭に寄りかかって礼拝したことが、ここに信仰の事柄として記録されているのです。
「信仰によって、ヨセフは死に臨んで、イスラエルの子たちの脱出のことを述べ、自分の骨について指示を与えました」(ヘブル十一・二二)。ヨセフはイスラエルの子たちの来たるべき脱出のことを覚えていて、自分の骨をエジプトからカナンへ携えて行くように命じました。これは大きな信仰を要しました。イスラエル人はカナンに入った時、ヨセフの骨を良き地に携えて入りました(出十三・十九)。
モーセ
「信仰によって、モーセは生まれてから、彼の両親によって三か月の間隠されていました……そして彼らは、王の命令を恐れませんでした」(ヘブル十一・二三)。また「信仰によって、モーセは成人した時、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、罪のはかない享楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び」ました(二四―二五節)。モーセの時代に、パロの娘の子と呼ばれることは、魂の命にとっては享楽でした。しかしモーセはこれを拒み、罪のはかない享楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選びました。エジプトでの享楽、すなわちこの世の享楽は、神の目には罪深いことです。それははかなく、一時的です。
モーセは「キリストのそしりを、エジプトの財宝にまさる富と考えました。それは、彼が褒賞をひたすら望んでいた」からです(二六節)。キリストは主の御使いとして、患難にあったイスラエルの子たちと常に共におられました(出三・二、七―九、十四・十九、民二〇・十六、イザヤ六三・九)。さらに、聖書はキリストと彼らを同一視します(ホセア十一・一、マタイ二・十五)。ですから、彼らに及んだそしりは、キリストのそしりと見なされました。また神をそしる者たちのそしりは、キリストの上にも及びました(ローマ十五・三)。モーセは神の民と共に虐待されることを選び(ヘブル十一・二五)、このようなそしりをキリストのそしりと考え、パロの宮殿にあるエジプトの財宝にまさる大いなる富と考えました。それは、彼が褒賞をひたすら望んでいたからです。
わたしたちは、だれがモーセに褒賞のことを告げたかわかりません。おそらく彼の家の者であったでしょう。とにかく、彼は大きな信仰を持って、褒賞をひたすら望み、エジプトを逃れました。パロの宮殿、王家の子たる身分、この世の享楽や功績、エジプトにあるすべてのものが、彼の前にありました。彼の見るところによれば、これらのものは実際でしたが、彼の信仰によれば、それらは実際ではありませんでした。それよりも他の何か、褒賞が、彼の実体化する感覚にとって実際でした。その当時、褒賞は、彼から遠く離れていましたが、彼はそれをひたすら望み、それによって励まされ、エジプトにあるあらゆるものを放棄したのです。信仰によってモーセは「王の激怒を恐れないで、エジプトを去りました。それは、彼が見えない方を見ているようにして、忍び通し」たことです(二七節)。その当時、これは大きなことでした。その大いなる褒賞が、エジプトを逃れることで彼の励ましとなっていました。これは、今日わたしたちの生涯の完全な絵です。今日、この世はエジプトであり、この世がわたしたちに与えることができるすべては宮殿です。しかしわたしたちの信仰にとって、このすべては空の空です。ただ一つの事だけが実際の実際です。それは来たるべき褒賞です。
モーセはまた「信仰によって、彼は過越と血を注ぐことを設定しました。それは、初子を滅ぼす者が、彼らに触れることのないためでした」(二八節)。モーセが過越と血を注ぐことを設定することは、信仰を必要としました。それはまたモーセが民に、小羊を用意し、その血を戸口のかもいと門柱に注ぐように告げることも、信仰を必要としました。神は、過越と血を注ぐことを設定したモーセの信仰を尊ばれました。モーセは、来たるべき過越を見ることなく、それを信仰によって実体化し、この実体化したものにしたがって行動しました。
イスラエル人とカナン人ラハブ
信仰によって、イスラエルの子たちは「紅海を、乾いている地を通るようにして渡りました。そこを渡ろうと企てたエジプト人は、飲み尽くされました」(二九節)。ヘブル人への手紙第十一章では、イスラエルの子たちが荒野でさまよった四十年間については何も述べられていません。なぜなら、彼らはその年月の間、信仰によって何も行なわずまた神を喜ばせることもせず、むしろ彼らの不信仰によって神を怒らせたからです(三・十六―十八)。彼らがヨルダン川を渡ったことでさえ、ここでは述べられていません。なぜなら、彼らの不信仰によって渡るのが遅れたからです。もし彼らがシナイ山を離れてしばらくの後(申一・二)、カデシ・バルネアで彼らを良き地に入らせなかった不信仰がなかったなら(十九―四六節)、ヨルダン川を渡る必要はなかったのです。もしカデシ・バルネアで信仰を持っていたなら、彼らは三十八年も早く良き地に入ることができたでしょう。彼らは最終的に信仰によってヨルダン川を渡りましたが、聖霊はここで、それについて何の記録もありませんでした。なぜなら、それは神の目に喜ばしいことではなかったからです。
荒野でのさまよいの年月を経過して、「信仰によって、七日間エリコの周囲を回ったので、その城壁は倒壊しました」(ヘブル十一・三〇)。イスラエル人はエリコの城壁を包囲した時、最上の武器を持っていませんでした。彼らは信仰によってこれを行ない、神が彼らに告げられたことを行なったので、神は彼らの信仰を尊ばれました。
「信仰によって、遊女ラハブは、偵察の者たちを平和のうちに受け入れたので、不従順な者たちと共に滅びませんでした」(三一節)。ラハブはイエスの流れる血を表徴する赤いひもをさげました(ヨシュア二・十八、六・二三)。信仰によって、彼女はカナン人が受けた破壊から救われました。
預言者たち
信仰によって、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、預言者たちは、多くの驚くべきことを行ないました(ヘブル十一・三二―三九)。彼らは驚くべきことを行ないましたが、彼らの多くはまた殉教しました。神は彼らのある者に奇跡を行なわれましたが、彼らのすべてにそうされたのではありません。信仰を持っているなら、神は常に自分のために何かをしてくださると考えてはなりません。多くの時、わたしたちが信仰を活用することは、わたしたちを神の沈黙を享受することにもたらすでしょう。おそらくある者は、石で打たれて死のうとする時、「おお、主よ、わたしをこれらの石から救ってください」と祈るでしょう。ところが、主は彼らに平安に満ちた沈黙を与えて、彼らを救うために何もされないかもしれません。ステパノが殉教しようとしていた時、主は彼を救い出さないで、彼にとても甘い沈黙を与えられました(使徒七・五四―六〇)。主から何の救いも来ることなく迫害を受けることは、大きな信仰を必要とします。
神の沈黙は、神の奇跡よりも偉大です。あなたはどちらを持つことを好むでしょう? 神の奇跡でしょうか、神の沈黙でしょうか? もしわたしたちが正直であろうとするなら、大部分は神の奇跡を好むと言うでしょう。主イエスが十字架につけられた時、あざける者が彼に、「もしおまえが神の子であるなら、十字架から下りて来い!」と言い、「あれがイスラエルの王なのだ.今、十字架から下りてもらおう。そうすれば、われわれは彼を信じてやろう」(マタイ二七・四〇、四二)と言いました。主が十字架上におられた六時間のうち、少なくとも三時間、宇宙に沈黙がありました。それは神がおられないかのようであり、あざける者と冒とくする者は、何でも言いたいことを言いました。それは彼らの世であり、その時、彼らは神々でした。神は奇跡を行なうよりはるかに多く、沈黙を保たれるのです。時として、わたしたちはみな、信仰によって神の沈黙を享受しなければなりません。
多くの殉教者たちは、信仰によって神の沈黙を享受したことを証ししました。わたしは、一九三〇年代に中国で殉教した二人の宣教師のことを、決して忘れることができません。殉教の当日、彼らの一人は、「すべての殉教者の顔は、御使いの顔のようです」と言いました。もう一人は、「もしわたしにもう一つの命があったなら、わたしはそれも主にささげて殉教します」と言いました。神は彼らが中国で殉教することを許され、彼らを救い出すために何もされませんでした。彼らは、信仰によって神の沈黙を享受しました。この章に記録された信仰の歴史を読む時、それは単に奇跡の記録ではなく、神の沈黙の記録でもあることを見ます。神は、いつも行動して外側で彼の聖徒たちを助けるのではなく、しばしば彼らに、内側で神の沈黙を享受することができるようにされます。
三五節は言います、「他の者たちは、さらにまさった復活を得るために、釈放されようとはせず、打たれて死にました」。さらにまさった復活は、第一の復活(啓二〇・四―六)、命の復活(ヨハネ五・二八―二九)だけでなく、格別な復活(ピリピ三・十一)、特別な復活、主の勝利者たちが王国の褒賞(ヘブル十一・二六)を受ける復活でもあります。これは、使徒パウロが追い求めたものです。信仰によってそのような苦難を忍び通した人たちにとって、この世は彼らにふさわしくありません(三八節)。これらの信仰の人は特別な人、最高の次元にいる人であり、堕落したこの世は彼らにふさわしくありませんでした。神の聖なる都、新エルサレムだけが、彼らにふさわしいのです。
新約の信者によって完成される
「これらの者はすべて、彼らの信仰を通して良い証しを得ましたが、約束されたものを得ませんでした.神はわたしたちのために、さらにまさったものを備えてくださっているので、わたしたちがなければ、彼らが完成されることはないのです」(三九―四〇節)。旧約の証し人は、完成されるために、新約の信者を必要としています。新約の信者のために、神はさらにまさったものを備えてくださいました。それは、旧約の聖徒たちが旧約の形と影として受けたものの経験と実際です。王国の宴席は、旧約と新約の両方の勝利者のためです(マタイ八・十一)。祝福された新エルサレムは、旧約の聖徒たちと新約の信者たちから構成されます(啓二一・十二―十四)。ですから、新約の信者たちがなければ、旧約の人たちは、神が約束されたものを獲得することはできません。神の約束の良い事柄を獲得し、享受するために、彼らは、新約の信者たちが彼らを完成することを必要とします。今や彼らは、わたしたちが前進するのを待っています。それは、彼らが完成されるためです。
証し人たちである雲
「こういうわけで、こんなにも大勢の証し人である雲に囲まれているのですから、わたしたちも、あらゆる重荷と、いとも容易にまといつく罪をかなぐり捨てて、前に置かれているレースを、忍耐をもって走ろうではありませんか」(ヘブル十二・一)。雲は民を導き、民が主に従うためです(民九・十五―二二)。主は雲の中にいて、民と共におられます(出十三・二一―二二)。イスラエルの子たちは雲の柱によって主に従い、雲の柱の中で主の臨在を享受しました。すべての信仰の証し人、すなわち信仰の殉教者たちは、雲です。この証し人の雲によって、わたしたちは主に従い、彼の臨在を享受します。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第6期第7巻より引用


